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検証はそこまでやってない。
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検証はそこまでやってない。
後編だったり。前編の安価な製品がブランドを駆逐する時 〜どうして安価で売れる製品が作れるのかの続き。
削るとは何か、を考えていると機能を増やすか減らすか辺りを源流とする話。
性能を落とす・機能を削減するために必要なことは何だろうか。それは最低限、必要な機能が何であるかを把握しているということだ。この必要な機能を絞り込む時点で「マーケティング」が絡んでくる。もちろん、この記事においてのマーケティングの意味はマーケティングという言葉の意味を継承する。
つまりマーケティングの名の下に「定量調査」「定性調査」「アンケート」「ヒアリング」「実用試験」なんちゃら〜が行われて、顧客が最低限どんなサービスが欲しいのか、「別にあってもなくても気にしないよ〜」な機能がどれなのかを明らかにしていく。そうした中、ごちゃまぜの全部入りの製品から、筋肉質で安価で尖った製品が生まれてくる。言葉を変えれば余計なものを整理し再構築することを機能のリストラと呼ぶことができる。
要らないものを要らないと言える人は凄いんです。
で、ちなみにターゲッティングできていない場合はどうなるのかというと、乱れ撃ち。まず、マーケティング作業で、サービス・製品が刺さる層を洗えていないので、”全ての層”をターゲットに作り始める。”全ての層”をターゲットにすると、”全ての層”は幅広い機能を要求してくるので、それはもう、機能開発の嵐。アレも良くしなきゃいけないし、これはあるのはデフォだよね、とか。
もう、作っても絶対使われないとわかっていても、作らなきゃいけない悪夢。
この論法のミソは、”当初は「全ての層」に対して提供して、以後の開発は「反応のあった層」に重点的に合わせていきます”ということ。もともと尖がっていないので、反応のある層自体が存在しないor気づかない。アチャーという結果。おそらくは顧客という言葉が出てきても、その明確なイメージが出来ていないということがほとんどではないのだろうか。
それを打破するためのメソッドが近年注目を集めている。
誰得 〜 「ペルソナ作って、それからどうするの?」を買ったり、誰がために、どのように製品は作られるのか考えたり、がそれだ。
ペルソナの考え方では、もう本当にコア層!というコアを一個人の人格という人格、朝何時におきて飯食っていつ家を出るか、顔はどんなか、どのような生活をしているのかまで明確にイメージをする。そして、それをチームで共有する。
ペルソナの課題としている点は、幅広い顧客のイメージを廃して真の顧客のイメージが持つこと、そしてチーム内で少しずつズレていく(いる?)ターゲットイメージを、1つに収束していくことだ。1つに収束していくと恐怖が生まれる。「ただの1人にしか売れないのではないか?」。
―――――「そんなことはない!」、と言ってしまうのがペルソナである。
ターゲッティングがうまくいけば、不必要な機能を作ることも無く、無駄な廃スペックも必要も無く、安価な製品が作れるようになる。全てが上手くいくようになる。そうしたモロモロのことを勉強したり考えていったりして、ようやく、ようやく、削るとは何か、を考えているで紹介した黒木氏の言葉の入り口に立てたような気がする。
皆さん、消費者、消費者と言って、消費者第一で考えますけど、私は、誤解を恐れずに言えば、消費者は愚者だと考えているんです。消費者は愚かなんだと。私を含めてね。だから、自省の意味をこめて、「モノづくりをする人が、ちゃんとした見識を持たなければならない」といろんな場面で訴えているんです。
これは「消費者は愚かだ」と認定して企画者・開発者の勝手な思い込みを押し付けるのではなく、消費者の生活スタイルを分析に分析し、勉強して、そのスタイルに合った製品、その生活スタイルを劇的に変化させるサービスを考えに考える。だから、消費者は愚者であるということなのだ、と咀嚼できた。
だから、
黒木 そうですね。ウォークマンは、商品にしようとして考えられたものではなく、若いエンジニアが自分で遊ぶためにつくったものですからね。それを、我々が素直に面白いと思い、創業者である井深(大)さんや盛田(昭夫)さんを巻き込んで製品化に結び付けていった。まさに、いまでいうプロシューマーの走りですよね。だから、商品自体に力があったし、消費者のライフスタイルを変えるイノベーションに結びついたんです。
という、言葉が続いていった。
再度、引用する。
「売れなかったけどデザインは良かったなどと評論家はいうけど、あり得ない。売れなかったのは、デザインが悪かったからだ」
「色やかたちを整えることをデザインだと思い込んでいる人たちがいる。それは、とんでもない間違い。それは、単なるコスメティック・デザインであって、デザインの本質ではない」
「技術者の人たちが自分たちの殻から出てこないから、仕方なくデザイナーたちに技術を学ばせて、こちらから押しかけている。けれど、それが理想解ではない。デザインの領域にどんどん踏み込んできてくれる技術者が沢山現れることを本当は望んでいる」。
だから、なぜ自分の生活スタイルの構築にこだわるのかということを考えたり、「今何をしているんですか?」「デザインの勉強。とマーケティング」「はぁ、絵を描かれるのですか」という会話が出ていたりする。
殻を破ってデザインの領域に踏み込み理想解をたたき出す、そんな人間が岩田社長(任天堂社長の岩田聡氏の記事まとめ、岩田社長)や久多良木氏(久多良木「少し先を行き過ぎたかもしれない」、「美学vs.実利」を買った)以外に存在するだろうか。
先輩・同級生・後輩の中から、そのような人が出てくるといいなぁと思いつつ、この文章を締めたい。
最近、書きたくて、書きたくて、モンモンとしていたネタ。
今回は”安くて良い”という背反するような理論がなぜ両立するのかについて考えてみたい。
最近では20万円の自動車であるタタ・ナノ、ついにインド市場で販売開始へが話題をさらっている。実際、日本の市場の力を信じている自分としてはこのニュースは眼中にはなかった。ただ1つの懸念があったのは、”安価な製品が他のブランドを押しのけて市場を食う” 例がいくつかあることだった。
――――まさにそれが米国市場におけるカローラだったのではないか?
そう考えるとタタのナノも十分に検討の余地がある。この話の出所が何処だったのか忘れてしまったのだが、DECはなぜ滅び、アップルはなぜ成功したのか–ビジネスと教育のありを考えるの記事内にあるように、
現在米国にてハイエンドのLexusが大成功を収めているトヨタも、米国進出当初からLexusを販売していたわけではない。「トヨタはまず、Fordのような大型自動車が買えない顧客に対し、小型で燃費のいいカローラを販売した。その成功からブランド力をつけ、徐々にハイエンドの車も提供するようになった。究極のLexusに行き着くまではじっくり時間をかけた」とHorn氏は説明する。
ということが往々にして市場では起こりうるということだ。当時の米国ではFordのアメリカンサイズの車が闊歩していたのだが、トヨタの小型で燃費がいい車が安価だということで好評を博した。(ここら辺については本を引っ張り出してちゃんと書かなくちゃなー)。その後、信頼を勝ち得ていくに従って上位機種のブランド化に成功。米国で一地位を築いていく。
”安価な製品が他のブランドを押しのけて市場を食う” 例は、他にもある。EeePC、Wii、NDSなどがそれだ。任天堂においてはNDSとWiiの成功が無ければ、「任天堂の負のスパイラル」を抜け出せずに存在していなかったかもしれない。EeePCに関してはASUSという一般人が知らないようなメーカーのPCを平気で買うという暴挙に出させた。
(自分が初めて触ったマザーボードのメーカーなのだけれども。)
ここで疑問になるのは、なぜ安価なのに売れる製品が作れるのかについてだ。
脳みそさんに聞いてみたところ、いくつかの答えを示してくれた。
例えばトヨタにおける80点主義はどの部類に入るだろう。
トヨタ自動車 – Wikipedia
80点主義とは、1966年に発売された初代カローラの開発主査である長谷川龍雄が打ち出した考え方である。商品の完成度を高める一方で、一部の飛び抜けて優れた機能や性能を追いかけることなく、まず全ての項目において最低でも80点を目指し、及第点に達したのち更に上の点数を順次達成していくトータルバランスを念頭に置いた企業思想である。のちに、この80 点主義は80点主義+アルファとなり、旧車種や他社への差別化戦略へと移行していく。
このコスト削減策の中でも「性能・機能削減によるコスト低下」に着目したい気持ちがある。削るとは何か、を考えているエントリや機能を増やすか減らすかエントリにも関係する。
性能を落とす・機能を削減するために必要なことは何だろうか。それは最低限
疲れたので休憩。後半は書くのかな。まぁ、いいや。偉そうなことを書いているけれど本気にしないでねっと。
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ニュースサイトが記事のページを分ける理由を考えてみたの検証のためにページを分けてみた。後編はWordPressにて予約投稿(未来投稿)をやってみたんで、この記事の公開された日の次の日に公開されるはず。
titleタグ効くのかなー、と思ったが、あんまりキャッチーなタイトルにしなかったから意味が無いな。
今回話したいことは、「いかに文章を書くことが不得意な人でも、第3者の脳を通すことである程度、上手く文章がかけるのではないか」ということだ。
過去にこれぞ完璧企画書――「1枚企画書」パターン実例3題を買って、ホクホクしていたら、「5枚プレゼン」のレイアウトを理解するな本が出ていて驚愕した。
どうやら俺は1枚→5枚→10枚→20枚…と無限コンボを食らってしまうらしい。
このシリーズを買う(追っかける)きっかけになった本はPowerPointでマスターする勝ち抜く提案プレゼン 実践の極意だった。これはおそらく3年前ほど前に買った本だ。
これらの本で一貫していることは、”頭の中の抽象的で自分にしか分からないことを、いかに合理で論理な話で他の人に伝えることができるように翻訳するか”だと自分では考えている。
2〜4年前は企画プレゼンで実態の無いサービス・製品・ビジネスプランをでっち上げるのが当時の課題だった。実態がない(し、行動力も斜め上を行っていた)ので伝える能力を純粋に上げるしかなかった。
伝える能力というものが無ければ、成果を出しても伝わらない…ということがある。同じ内容の論文を書き方を変えて出して上手くいったなんて話は良くありそうだ。何を新規性としたいのか、他とどのような違いがあり、どのようなときに優位性があるのか、そうしたことをしっかり書けなければ、価値を伝えることは困難だ。
最近、こうした文章を見るにあたり、他者の存在を意識することが非常に大切だと感じている。俗に言う客観的な視点だ。客観的な視点を意識しながら文章を書けるというのもまた能力の1つなのだろう。
客観的視点について大事だとは思いつつ、1つ思考してみた。文章を全てヒアリングをベースにして書くようにしたらどうなのか、ということだ。
最近、自分はいくつかヒアリングを行った。自称”文章を書くのが苦手”だという人々がおり、直接話を聞いてその話をまとめるという作業を行った。彼らは頭の中で素晴らしいことを考え、判断しており、口頭では饒舌に語ってくれるのだが、文章に書こうとしても伝わらない・書けないことがあるようだ。
そもそも自分でも客観的な視点を持っているかどうか怪しい。そこで、文章を書く際には他人に聞いてもらい、それをベースに文章化していけばいいのではないか、と考えてみた。この場合の文章は、広く配布する文章やプレゼンに限る。聞かされる人にとっては迷惑かもしれないが、お互いにヒアリングし合えば、それは議論にも発展するかもしれないし、面白いだろう。
通常の文章の作成の仕方では、文章の執筆者がある程度の文章を作成し、その後、確認者が修正を行っていく。この場合、確認者として文章を修正するのは難しい経験がある。理由は分からないが、どうしても文章のベース(話の根幹)を直すという気になれない。話す内容を前後すれば分かりやすくなるが…指摘できるのか?という気になる。
文章作成の当初からヒアリングを通して話の構成を考えていく。その方法では「どうしてこの話をしたいと思ったのか」「目的は?」「それを達成するにはどのような方法がある?」「なぜこれらの方法は検討から外れた?」「その方法で新規性はどのあたり?」「それで結果は上手くいった?」という話の流れをベースに1つ1つ疑問に思った点をトレースしていく。流れが決まっているので木の幹がしっかりし、葉の部分となる詳細も流れを汲んだものになると感じた。またヒアリングで聞いた順序は、話して伝わる順序に近い。第3者のペースで話が進められているからだ。
そうして考えていくと、いかに文章を書くことが不得意な人でも、第3者の脳を通すことである程度、上手く文章がかけるのではないかという結論に到った。自分自身の文章能力が高いと感じてはいないので、”文章下手同士でも集まれば何とかなる”という解決方法の1つとして発展させていきたい。
例えばアーティストの記事がインタビュー記事で存在する理由もそんなものだろう。編集者が存在する理由も読者にいかに伝えられるかという点が重要なのだろう。
この手法を検討するにあたり、ヒアリングを行っている者が全ての文章を書いてしまっては代筆になってしまう。そこでヒアリング結果を本来の執筆者に対して返さなければならない。
と、ヒアリングばっかりしていたら、自分の考えを主張することが出来なくなってしまいそうになった日々である。
ヤフー、USEN「ギャオ」を子会社化 : ニュース : ネット&デジタル : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
インターネットのポータル(玄関)サイト最大手のヤフーは7日、有線放送最大手USENの100%子会社で映像配信サービスを展開する「GyaO(ギャオ)」の発行済み株式の51%を約5億3000万円で取得し、子会社化すると発表した。
と、赤字続きだった訳を救済するに到ったのはGyaoだった。Yahoo動画ならP2Pにも明るい。Gyaoのコンテンツを低コストで配信することも期待できるかもしれない。
Gyaoの発起人はUSENの宇野社長。宇野社長のエピソードはサイバーエージェント本で知った。(株)サイバーエージェント 藤田晋 前編2 ― 独立・起業なら ドリームゲートにも同様のことが書かれているが、サイバーエージェント社長の藤田氏は、
宇野社長をはじめ、インテリジェンスの先輩たちからは何度も留意をされました。けれど、私は一度決めたら絶対に信念を曲げない性質。しかし、当初考えていた仲間との起業計画は頓挫します。そんなこんなで決意してから実際の起業までの紆余曲折はありましたが、最終的に宇野社長からの出資を受け、1998年3月18日、サイバーエージェントを設立したのです。
のような出来事を経ている。
第三者視点で見ていると、孫 氏→(救済)→宇野 氏→(救済)→藤田 氏のように救済が流れているのだなぁ、と。
こうして見ていると、ADSLによる常時接続の図版を描いたのは孫氏で、現在のインターネットの資金の流れはそれに従って動いている。どのプレイヤーもその盤上から出られていないのではないか。いや、そうでもないのか。
分からないなー。
先日のウタゴエのP2Pでセンバツ広告野球を放送だそうなの放送を実際に見た。
パ・リーグ全試合を無料ネット中継 Yahoo!スポーツでということなので、いわゆる1つのダルビッシュVS岩隈が実現! 日本のプロ野球はすごいんです!!を途中から見た。
前者のシステムは前回説明したとおりのウタゴエのインストールを必要としない画期的なもの。後者のシステムはTV BankのP2PシステムでWindows用のバイナリをインストールすることによって視聴できる。
前者のシステムは音は聞けるが映像が見れないという状況になり諦めた。今思えばIEで試してみればよかったのかもしれない。仕方なくサーバのストリーミング配信の低画質な映像を見ていた。CMはアニメものばっかりだった。
後者のシステムはIE限定。SDTVレベルの画質で見ることができた。CMは数が少なく、入ってもYahooのものだった。
Yahooスポーツは太っ腹で、「パ・リーグ全試合を無料ネット中継」というぶちあげっぷり。ソフトバンクの試合だけじゃない。そういう状況を見ていると、Yahoo側が強くプッシュしたのか分からないが、放送できるインフラさえあれば何処に配信しようが構わないというスタンスだったのかもしれないな、と思わされた。
にわか野球感染者なりに「ダルビッシュVS岩隈」というカードを楽しませてもらった。P2Pをやっているという気すらしなかった。
P2P放送が上手くいくのは、光回線の加入者が増えたこと、UPnP製品が安定したこと、パンチホール技術が安定したこと、流すコンテンツが用意できていること、などの要素があるが、これらが上手くいっている感じだ。
この経験を経て、P2P放送はもう数年で普及に耐えるレベルに達すると思った。もう今さら研究する必要もないんだなーと思うと、少し寂しくなった。
携帯電話の着信を感じたり、拒否したり、メールを見たりできる腕時計が2006年頃から登場してきた。
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比較的、便利だと思うのだが、思いのほか普及していない。BlueToothの問題だろうか。