今回話したいことは、「いかに文章を書くことが不得意な人でも、第3者の脳を通すことである程度、上手く文章がかけるのではないか」ということだ。
過去にこれぞ完璧企画書――「1枚企画書」パターン実例3題を買って、ホクホクしていたら、「5枚プレゼン」のレイアウトを理解するな本が出ていて驚愕した。
どうやら俺は1枚→5枚→10枚→20枚…と無限コンボを食らってしまうらしい。
このシリーズを買う(追っかける)きっかけになった本はPowerPointでマスターする勝ち抜く提案プレゼン 実践の極意だった。これはおそらく3年前ほど前に買った本だ。
これらの本で一貫していることは、”頭の中の抽象的で自分にしか分からないことを、いかに合理で論理な話で他の人に伝えることができるように翻訳するか”だと自分では考えている。
2〜4年前は企画プレゼンで実態の無いサービス・製品・ビジネスプランをでっち上げるのが当時の課題だった。実態がない(し、行動力も斜め上を行っていた)ので伝える能力を純粋に上げるしかなかった。
伝える能力というものが無ければ、成果を出しても伝わらない…ということがある。同じ内容の論文を書き方を変えて出して上手くいったなんて話は良くありそうだ。何を新規性としたいのか、他とどのような違いがあり、どのようなときに優位性があるのか、そうしたことをしっかり書けなければ、価値を伝えることは困難だ。
最近、こうした文章を見るにあたり、他者の存在を意識することが非常に大切だと感じている。俗に言う客観的な視点だ。客観的な視点を意識しながら文章を書けるというのもまた能力の1つなのだろう。
客観的視点について大事だとは思いつつ、1つ思考してみた。文章を全てヒアリングをベースにして書くようにしたらどうなのか、ということだ。
最近、自分はいくつかヒアリングを行った。自称”文章を書くのが苦手”だという人々がおり、直接話を聞いてその話をまとめるという作業を行った。彼らは頭の中で素晴らしいことを考え、判断しており、口頭では饒舌に語ってくれるのだが、文章に書こうとしても伝わらない・書けないことがあるようだ。
そもそも自分でも客観的な視点を持っているかどうか怪しい。そこで、文章を書く際には他人に聞いてもらい、それをベースに文章化していけばいいのではないか、と考えてみた。この場合の文章は、広く配布する文章やプレゼンに限る。聞かされる人にとっては迷惑かもしれないが、お互いにヒアリングし合えば、それは議論にも発展するかもしれないし、面白いだろう。
通常の文章の作成の仕方では、文章の執筆者がある程度の文章を作成し、その後、確認者が修正を行っていく。この場合、確認者として文章を修正するのは難しい経験がある。理由は分からないが、どうしても文章のベース(話の根幹)を直すという気になれない。話す内容を前後すれば分かりやすくなるが…指摘できるのか?という気になる。
文章作成の当初からヒアリングを通して話の構成を考えていく。その方法では「どうしてこの話をしたいと思ったのか」「目的は?」「それを達成するにはどのような方法がある?」「なぜこれらの方法は検討から外れた?」「その方法で新規性はどのあたり?」「それで結果は上手くいった?」という話の流れをベースに1つ1つ疑問に思った点をトレースしていく。流れが決まっているので木の幹がしっかりし、葉の部分となる詳細も流れを汲んだものになると感じた。またヒアリングで聞いた順序は、話して伝わる順序に近い。第3者のペースで話が進められているからだ。
そうして考えていくと、いかに文章を書くことが不得意な人でも、第3者の脳を通すことである程度、上手く文章がかけるのではないかという結論に到った。自分自身の文章能力が高いと感じてはいないので、”文章下手同士でも集まれば何とかなる”という解決方法の1つとして発展させていきたい。
例えばアーティストの記事がインタビュー記事で存在する理由もそんなものだろう。編集者が存在する理由も読者にいかに伝えられるかという点が重要なのだろう。
この手法を検討するにあたり、ヒアリングを行っている者が全ての文章を書いてしまっては代筆になってしまう。そこでヒアリング結果を本来の執筆者に対して返さなければならない。
と、ヒアリングばっかりしていたら、自分の考えを主張することが出来なくなってしまいそうになった日々である。