Windows7 インストール中

Windows7のインストール中、何もすることがないので書く。

ようやく、今頃になってWindowsのインストールのためのバックアップ作業で、手間取らなくなってきた。ファイルを保存する際に、「マイドキュメント」もしくは「Dドライブ」以外に作業ファイルを保存しないポリシーが守られたためだと思う。特に、Windows Vistaでは管理者権限と利用者権限の管理がUACによってしっかり行われているため、Cドライブのルートに書き込もうとすると警告が行われる点が、そのポリシーを守らせた要因が大きいと考えている。

具体的に行った作業を書こうと思う。

Firefoxの全てのデータをWeaveをインストールしてネットワーク上と同期。
FirefoxおよびThunderbirdの全データをMozBackup日本語版で退避。
puttyのレジストリデータを退避。
ユーザプロファイル中のアプリケーションディレクトリ、マイドキュメント、ディスクトップ内の全てのファイルの退避。
プログラムフォルダ内のJaneStyleフォルダの退避。

これだけだったと思う。他はDドライブかネットワークドライブに保存しているようだった。

実際のWIndows7のインストールはDVDドライブがついていないノートPCへのインストール作業になるため、USBメモリから行うことにした。USBメモリへのインストールDVDのセットアップはコマンドプロンプトからの作業が必要だったが、インストールDVDさえあれば他のフリーソフト等が必要ないというマイクロソフトが認めている?仕組みだったので楽だった。

インストール時間は賞味15分、その後、プロダクトIDを入力して3分くらいの20分で終った。ドライバは認識され、ディスプレイは表示されている。Windows7はインストールしたては遅いので、一晩中を起動したまま放置してからが、勝負らしい。

インストールが終わったので触ってみる。

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Windows7ファミリーパック買った

Windows7のファミリーパック買った。3ライセンスで2ライセンス分の価格なので、安いと感じる。単品Home Premiumの予約を解除してファミリーパックを18日に予約した。

ついでにExpress5800/S70(タイプFL)がなかなか使えるということが分かったので、自分用にもう一台、15,900円で買った。

Windows発売時に感じたことを、図に表してみた。概要としては、縦軸が要求する機能性、横軸はそれを要求するユーザー数であり、機能性を要求するユーザーほど相対的に少なくなっていくものだと感じている。

その中でWindowsというOSは、常に新しい機能・新しい世界観の提供を目的として、次の時代のPC性能で出来ることを実装するという流れでVistaまで開発されてきた感じがある。Windows XPのときは、Windows 2000という安定感と信頼感のあるものを一般層に適用できる形で提供すること。Windows Vistaでは、一般層へより機能性を提供すること。

ただあまりにも贅沢なスペックを想定したOS環境をデフォルトに設定してしまったためか、Vistaでは重い、遅い、もっさりという印象が強くなってしまった。実際はスリープからの起動ではXPよりもVistaが早い。しかし思ったよりもスリープ(サスペンド)が浸透しておらず、通常起動をさせるユーザーが多いために起動が遅いと感じてしまったのかもしれない。また通常動作もなぜかもっさりしている感じを受けてしまう。

そこで、Windows7では不要なサービスを切り、通常起動も早くした。通常動作も速いようだ。ネットブックでも使えるものとしている。XPからVistaで2倍に伸びてしまった起動時間の問題を解消し、7はXPよりも起動が早くなったとしている。機能性まわりが強くなった印象は対して受けない。7を買うユーザは、ほぼ、この起動時間・動作感の理由だけで買うのだと考えている。

今回は、Vistaユーザーとしてマイクロソフトの有償ベータテストに参加した方々がようやく完成版のWindowsを手に入れられる日が来たんだなと、感慨深い。有償ベータは正直、つらかった。早いPC買っても(x61買ってしまった)、もっさりしてるし…Vistaのユーザープロファイルが壊れた\(^o^)/から、代わりのプロファイル作ってギリギリ運用している状態だし…今まで我慢してきたが、もう我慢できない。

Vistaは有償ベータテストだったんだよ…Aeroも幻想…WinFSは完成せず…UACはプログラマに地獄の苦しみを…起動は遅いし…もっさり…もっさり…もっさり…

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唯一良い点は、IE7が標準搭載だった点かもしれない。

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日本人が日本的である理由は日本人には分からないのかもしれない

「日本車は世界一信頼できる?その理由は?」外国人の経験談

海外の掲示板などの情報を日本語に直しているサイトで時々見ると発見がある。

自分の強みを自分で理解するためのいくつかの手法が存在する。それを知る論理的ではない直感的な方法は、例えば、自分が属するグループの外へ出てみること、外から内を見たことへの感想を得ることなのかもしれない。自身や属するグループで話し合いをしてもメンバーが内向的なときには閉ループを構成してしまい、外から見て何が強いのかが良く分からない状態に陥る。

例えば効率性を重視して成功した工場では、多くの場合、工場見学を行う。これは工場見学によって、広報効果、収入効果、また社員の意識を高める効果を狙ったものだが、外部の人からの意見をいただけるという点も効果があるのかもしれない。

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さて、日本車はなぜ売れたのだろうか?という議論を日本人がしたらどうなるのだろうか。それともウォークマンはなぜ負けたのか?という議論の方がホットだろうか。

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Adobe Airの片鱗

Adobe AIR コンテスト 2009というものがあるので、ちらっと見てみた。色々とすごい。デザインがしっかり作りこまれているものが受賞作になっている。つまり、デザインに近い人がこのアプリケーションを製作しているということだ。

過去にAdobeとMacromediaのシナジーについてという記事で、

Adobeの強みはデザイナー向け製品を持つことであり、RIAを実現するのであれば、デザイナー向け製品との強い結合を武器にするだろう。今まで開発を続けてきているIllustratorの愛用者であり、グラフィカルな製品を作成することに長けている。

AdobeがMacromediaを買収したことは、AdobeがRIAをやっていく上で非常に重要な戦略だったし、上手くいっている。この場合のシナジーとは、Adobeの持つデザイナー群とFlashの持つデザイナー群の融合と、それに続くRIAの道であったと思えるからだ。固有のプラットフォームに依存しない描画エンジンという強みが、Adobeの持つ製品の価値、ベクタ表現の価値、ひいてはデザイナーの価値を高めている。

と戦略の強みを考えていたのが、まさにその通りに進めてきているなぁ、と。

echo
Colabolo
日本郵政 はがきデザインキット
ブログパーツデスクトップ
アスクルデスクトップ

この手のデザイン込みこみのアプリケーションを作ろうとすると、本当に面倒だ。3大プラットフォーム(Windows, Mac, Linux)に同じように見えて同じように動くアプリケーションを作るのは、もう、無理。Adobe illustlatorとAdobe Flashの連携をデスクトップアプリケーションで何も考えずに実現できるプラットフォームは他にはない。

Adobe AIRについて

AIRとはAdobe Integrated Runtimeのことで、本来的にはAdobe AIRと表記すべきではない。AIRはデスクトップRIAを開発するためのプラットフォームであり、Windows, Mac, Linuxの3大OS上で動作することができる。この理由はAIRがAdobe Flash Player上で動作するものであり、Flash Playerが既に3大OSに対応しているからである。

またAIRではプラットフォーム上にデータベースを持っているが、それはsqliteというオープンソースの単純なデータベースだ。オープンソースの単純なデータベースだからこそ、3大プラットフォーム上の全てで動作することができている。Microsoftには出来ない芸当だ。このsqliteのデータベースとの連携が上手くいくと、サーバとの通信がレスポンスに影響しなくなり、単に検索を行うだけならsqliteに引いてきた結果から検索を行えてしまうため高速に行える。sqliteによるデータベースはディスク上に保存することができるため、次回起動時に再度データベースから取得する必要が無い。むしろ取得し終わったデータベースが保存されていれば、ネットワーク接続すら必要なしにアプリケーション上でデータの検索などができる。

こうしたデスクトップアプリケーションとデザインの親和性を受けて、新たな試みが出てきている。
SDK for FeliCa & Adobe® AIR® / Adobe® Flash® Basic ICS-DAF/B010J
AIR/FlashでFeliCa対応のアプリ開発が可能に
今までSONYのFeliCa対応SDKは.NET向けのみだったが、AIR向けのSDKも登場するようになった。Windowsの限定的なプラットフォームのみ対応とはいえ、Basicな機能のみであれば無償で利用することができる。FeliCaの暗号化領域を触ることは業務用途ではければ必要ない。FeliCaのIDを取得できるだけでも出来ることは多いので、様々なアプリケーションが出てくることだろうと思う。

こうした流れを踏まえてデスクトップアプリケーションの分野では、プラットフォームに依存しない(プラットフォーム独自の機能や3Dアクセラレータ)、また処理速度を問わないような簡単な用途であれば、Adobe AIRがほぼ勝つだろうと個人的に予想している。

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AT&Tが3Gネットワーク上でのVoIPを認める

米AT&TのiPhoneネット電話解禁は「パンドラの箱」を開けたか

びっくり。これで、電話番号の呪縛から解き放たれ、定額でずっと電話できるような世界が来る。むしろ、定額プラン制の見直し的なものが入る気がする。

もう、電話料金で商売する時代ではないのかもしれない。通話料金のARPUは割合を落としデータ通信が伸びている。ARPU=データ通信となる日が近い。データ通信とIPを用いた独自のサービス、もしくは決済代行、銀行業務など、他の付帯業務で商売する時代が来ている。

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日本雑誌協会が雑誌スキャン販売会社に著作権違反の警告

このブログでは著作権についての考察を行ってきたが、今朝、興味深い事例のニュースが入ってきた。

「コルシカ」に雑誌協会が抗議 雑誌スキャン・ネット販売は「著作権侵害」

記事によると、雑誌をスキャンしてネット上で販売するサービスである「コルシカ」が著作権を侵害しているとして、日本雑誌協会が中止を要請しているらしい。

コルシカの説明を見ては見たが、”オンラインで雑誌を販売する”、”その雑誌をデジタルデータにしたものを付する”形で販売を行っているようだ。エニグモ側の説明はこうだ。

 エニグモはサービスについて「雑誌を購入したユーザーのスキャンを代行しているという位置付けで、ユーザーの私的利用の範囲。著作権侵害には当たらない。ビューワにはDRMもかけており、不特定多数に送信することもできない」と説明している。

この問題の争点

この問題の争点は私的複製に当たるか否かにある。

第三十条 著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。
  一 公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器(複製の機能を有し、これに関する装置の全部又は主要な部分が自動化されている機器をいう。)を用いて複製する場合

私的利用であるとする場合、「使用する者が複製することができる」とある。ネット上で自動で雑誌スキャンできる仕組みが存在すれば自動複製機器とみなされるかもしれないが、公衆の使用に供するので除外される。

DRMを使おうが、雑誌を買っていようが、利用者以外の存在が複製を行っているのであれば、それは無断複製である。不特定に送信していないというのは公衆送信化権の話であり、複製とは関係ない。今回の声明で「代行」という言葉が出てきたが、この言葉の存在自体が私的複製ではないことを表している。

今回のケースでは、複製の主体がコルシカ側にあり、利用者が主体的に複製しているとは言えない。もしこれが通るのであれば、CDのオンラインデータ販売でさえも行えるし、CDのmp3変換サービスも問題ないはずである。

よってコルシカは著作物の権利者に許諾を得なければならず、日本雑誌協会の訴えは妥当だと考えられる。今回の問題が法廷に行くのかどうか、また和解案として双方が納得できる形になるのかどうか興味深い。

裁判になれば、新しい解釈が出てくるかもしれない。他人事なのでどうかと思うが、できれば最高裁まで持っていって欲しい。

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「ファイルに保存する」必要はあるのか

WindowsのようなOSのアプリケーションのメニューには、多くの場合「ファイル」メニューが存在し、その中に「ファイルに保存する」コマンドが存在する。このコマンドは、アプリケーションが保持している作業の内容をメモリ空間からファイルシステム上に書き出す行為を指す。

このファイルに保存するコマンドにまつわるトラブルは多い。例えば、ファイルを保存し忘れてアプリケーションを終了してしまったり、アプリケーションが不正終了してしまった場合もそうだ。間違って別のファイルに上書き保存をしてしまうこともある。このようにアプリケーションのライフサイクルとして、ファイルを”新規作成”して”ファイルを保存する”一連の作業は正しいのかどうか、疑問を呈したい。

「ファイルを保存する」一連の作業について考える前に、どうしてこのような形式になったのか考える必要がある。その理由は半永久的に保存できるとされるディスクが低容量でまた高価であり、低速のアクセスしかできなかったことに大きく起因するのではないかと考えている。

ファイルを保存することは利用者の自発的な保存行為を促すものであるが、この行為はいわば、作業を保存するということである。作業を保存するということは、例えば本を書けばそれが残っていくことと同じように自然に行われていくべきだ。よって本来的には利用者の作業の1つ1つが行われるたびにその作業の履歴を含めて保存するべきであり、作業の記録とは利用者が明示的に行うものではない。

このようなことが出来なかった理由は、前述の通り保存するためのディスクにアクセスすると我慢ならない時間を必要とし、円滑な作業の進行を妨げる可能性が大きいからだ。またディスク容量も少なく、なるべくファイルを作らないように保存していくべきという指針の中、利用者が取捨選択して残すという形は理にかなっていた。

これまでの過去の話に比べて、現在のディスク環境は非常に恵まれており、通常のアプリケーションの動作の一連の履歴を全て保存したとしても、アクセスによる作業の妨げを感じたり、それによって容量が少なくなってしまうと感じたりすることは多くない。よって、全てのアプリケーションが今後、取るべき指針としては、利用者が明示的に保存ポイントを示さないような作りであることが求められるとしたい。

同様な考えはファイルシステム自体にも発生しており、通称スナップショットという機能によって提供される。この機能は、ファイルシステムのある瞬間の状態を保存することであり、その後の書き込みはスナップショットからの差分として考えられる。これによって大事なファイルを削除してしまったとしても、あるスナップショットまで簡単に戻ることが可能になる。ただし、アプリケーションのメモリ空間までを復元できるものではないので、前述の”ファイルを保存する前に終了してしまった”問題に対しては効果がない。

そこで、全てのアプリケーションに対して、そのアプリケーションが用いているメモリ空間をファイルに落とすことができるような仕組みを作ることで、多くの状況の再現が簡単に出来るようになるのではないか、と考えている。

この仕組みは、Windowsにおける「スリープ」機能と同じだ。「スリープ」では、PCの起動速度を向上するために、メモリ空間のコピーをファイルシステムにバックアップし、PCの電源を落とすことを行っている。もし、PCを起動したときにスリープされたメモリ空間がファイルシステムに存在する場合、それをメモリ空間にリストアすることによって、再度Windowsの起動シーケンスを経ることなく利用可能な状態に戻すことが可能であるため、起動時間の短縮になる。

アプリケーションの状態をファイルに書き出すという仕組みは標準的であるように見えて、実は面倒だ。もうアプリケーションが保持しているメモリを全部吐き出すようにしてくれれば、そんな面倒はないのに、と思ったりする。

また、これに似たものとしてGoogle DocsなどのWebアプリケーションが挙げられる。Webアプリケーションを製作する場合、まず初めに通信断を考慮する。無線LANや無線WANを利用しているケースを想定すると、一時的に通信が出来なくなるケースが考えられるからだ。そのときに備えて、アプリケーションを提供するサーバ群にて常に作業データを保管している。このため、ファイルを明示的に保存する行為が明示的に示されることは多くなく、常に自動で保存されているという流れが多い。

こうしたアプリケーションは、初心者やうっかりさんが、いつどのようにファイルを保存するべきかを学ぶ必要がないので、がっかりするような操作をしてしまう可能性が低いように見える。このような形が望ましい。

ふと、ローカルのアプリケーションを見直すと、そのような配慮をしているプログラムが少なかったので、気になった。プログラムの設定ファイルに関してはそのような仕組みを構築しているのに利用者が作成したデータに関しては間違えて消失するケースが多い。

ということで、「ファイルに保存する」必要のないアプリケーションが増えてくれると嬉しいな、と。

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