ChromeOSのビルドはdebootstrap環境下で

そんなこんなでChromeOSのビルドがさくっとできたら、やってしまおうとやり始めた。環境はUbuntu 9.04。

http://build.chromium.org/buildbot/archives/chromiumos-0.4.22.8.tar.gz
をダウンロードして、展開、中のスクリプトを実行してみると、「debootstrapをインストールするが良いか」のメッセージとパスワード要求。パスワードを入力するとインストールが行われた。

debootstrapとはubuntuが元にしているdebianというディストリビューションが持つプログラムであり、滅菌環境を作り出すことができる。

debianの特徴としてパッケージ管理システムがある。パッケージにはプログラムがバイナリの状態で含まれ、ソースコードは付属しない。であるが、GPLであるためビルドは行えるようにソースコードは配布されており、簡単にソースからのビルドが行える。ソースに変更を施したビルドも簡単に行える。

このパッケージのビルドする環境というものは、必要とするライブラリのインストールも必要とする。例えばlibzなどだ。時には自身がインストールしているライブラリとは別のライブラリを必要とする環境へのパッケージを製作したい場合がある。こうしたときは自身のライブラリをアンインストールして、開発に必要なライブラリをインストールする必要があり、不具合が生じる可能性もある。またライブラリ同士が干渉を起こしてライブラリパッケージをインストールできない場合も存在する。

こうした環境の破綻を防ぐために、仮想の環境を作り出すことを目的としたのがdebootstrapだ。

debootstrapは、あるディレクトリにあるディストリビューション、例えばdebianであれば、testやunstableなどのバージョンを構成することが出来る。手法はパッケージ管理システムと同様に、必要とするパッケージのダウンロードと展開であり、これによって作り出された環境は余分なものを持たない、滅菌環境となる。正式な配布パッケージでは、この滅菌環境下において、必要ライブラリパッケージのダウンロードおよびビルドを含んだ一連の動作に成功することが必要となる。この滅菌環境を利用するにはchrootというchange root/の意味を持つコマンドを利用する。

debootstrapは取得するレポジトリを選択することができる。そのため、Chrome OSの開発レポジトリからパッケージを取得して、ビルド環境を整えているのだろうと予想する。debootstrapを利用して、誰でも環境を汚さずにビルドできるものを用意するあたりGoogleらしいと思わされる。こうした仕事は、おそらくは、簡単にビルド(変更)できる環境であるかどうかによって、練度が違ってくるのだろう。

ということで、debootstrapが終わったようなのでここまで。

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Chrome OSに見るWeb OSとその先

3,4年前からWeb上で全てのアプリケーションが動作するのでWindowsなどのOSはブラウザが起動する簡単なもので良く、サーバーを初めとした集中管理型のネットワーク構成になる、という話が夢を持って語られていた。これはGoogleがWeb上でオフィススイートであるWritlyを買収してGoogle Docsとして公開する前後で語られていた妄想だ。

過去にWebOSとして鳴り物入りで公開されたstartforceなどは継続はしているようだが、華々しい話などは聞かなくなった。startforceはJavascriptのAjax技術(今やAjaxという呼称さえ死語なのかもしれないが)を用いて、Windowsライクなデスクトップをブラウザ上に表現するプラットフォームであり、その上で動くアプリケーションを作成すればあたかもWindowsデスクトップをブラウザ上で再現できるという筋の表現技術であった。現時点でstartforceがそこまで普及しなかった原因を考えるに、誰もWebOSに(Windowsライクなスタートメニューを含む)Windowsデスクトップであることを望まなかったことに一因がある。そもそもの話をするとWeb上でOSという概念が必要なのだろうか。

よくよく考えてみると、望まれているのはブラウザを起動した後の環境ではなく、ブラウザを起動するための環境である。現状ではブラウザを起動するための準備としてWindowsやMacなどのOSのインストールか、もしくはKnoppixやUbuntuなどのLiveCD、LiveUSBなどの用意が必要である。そして、これらのOSの起動は遅く少なくとも30秒から1分は必要とする。

そうした環境でも、なお、ネットブック、ネットトップと呼ばれるインターネットの使用のみを意識した製品は良く売れている。これらの製品が売れるということは、現状のインターネットに接続できるだけでも十分であるということの証左なのではないだろうか。

このような様子でもGoogleは満足ではなく、Chromeというブラウザの開発、そしてそれを動作させるOSの開発を始めた。Google Chrome OSのデモを見てきたを初めとしていくつかの記事がニュースに上がっている。

 同氏はまた、Chrome OSにおけるGoogleの目標がスピード、シンプルさ、セキュリティであることも語った。Chrome OSを「非常に高速」にしたいとし、「電源ボタンを押したらテレビのように起動するようにしたい。電源を入れたらすぐにWebにアクセスしてアプリケーションを使えるようになるべきだ」と話した。

この部分を考えるに、Googleとしては「早い、うまい、安い」OSを世界に提供することで、よりインターネットと人との距離を縮め、自社の検索サービスの利用者を増やし、収益を上げる戦略なのだろう。

「Chrome OS搭載PCは7秒足らずで起動」とGoogleとある。Windows7では起動スピードが大きく評価された(?)ように、世界中の人々は電源OFF状態からの起動速度に関心があるようだ。それを分かっていて宣伝しているようだ。またChrome OSのログインは(まだ良く調べていないが)gmailアカウントのIDパスで行うようだ。つまり、ChromeOSへのログインはgmailのアカウントを持っていないと出来ないために、Googleそのもののサービスの利用を前提とする。このことからも戦略的であるように見える。

世界にデータセンターの数はGoogle, Amazonを含めて5つ程度しか要らない、という議論がある。Web上でほとんどのサービスができることによって、このような、集約されたデータセンターに接続するだけで仕事や趣味が完結するという意見からだ。データセンターは集約されることで、いくつかのメリットがある。

  • 多くの人で共有するので、無駄が少なく、1人あたりのコストが安くなる
  • データセンターとして大量に準備することで、効率のよい状態のものを大量購入で安く準備できる
  • 人から人へのデータの移動が、近距離に行われる、もしくは遠距離のデータセンター間になることが確定するため、高速なデータ転送が可能になる

それに対してデメリットは、

  • データセンターに近い側の回線がパンクしたらアウト
  • データセンターがデータを持っている事実が怖い
  • アクセスラインが光以上じゃないと、ゲーム的な応答速度を要求するものは難しい

な感じだろうか。最近のニュースでは、ブロードバンド契約、光が50%超え 「最速」 動画需要増追い風となっており、もはや光より遅い回線の所持者は少数派になっている。今まで回線速度が遅いから云々の言い訳はそろそろできなくなりつつあり、様々なサービス、技術が生まれそうな素地が整いつつあるように思える。

明確に口にすることは出来ないが、思うに、今のインターネット技術は回線で出来る性能、能力、そして常時接続である利点を最大限に引き出していない。そして光ブロードバンドの応答、帯域が来ようとも、そのポテンシャルを引き出していないように思える。この答えがWebOSにあるかといえば、そう思えない。しかしながら、ChromeOSは良い筋をしており、その入り口部分になる部品だとは思う。

で、結論として何が言いたいのかというと、価格.com限定キャンペーン経由で光プロバイダに入ろうとすると48,000円キャッシュバックだということ。11月末まで8日なので、光ブロードバンドに接続していない諸君は急ぐべきだ。

またNTTの200Mbpsサービスは実はNGNだということだ。でも実はKDDIの1Gbpsに負けるときもあるので、迷うよね、と思っていたら、未だに光oneが来ねぇ、どうなってんだコンチキショー!!!もうNTTでいいかな、と思い始めていて、未だにADSLで書いているのですよ、この文章は。もうADSLで十分だよね、今の環境だとね。文章しか書かないとね。

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日本国歌は広がり、また収束する

日本国歌の歌詞についてはともかく、演奏される場合、楽曲として、始めの2小節と終わりの1小節は同音、ユニゾンで演奏されることが多い。多いというか、ほとんどの場合で伴奏は同音である。同音に始まり、和音に広がり、また同音に収束する様を聴くと、その楽曲に込められた様々な意味の想像を掻き立てられる。例えば、国民は1つから広がり、また1つになる、という意味のように。

調べてみたところ、作曲時点で同音の伴奏を付けていたらしい。
国歌になった君が代では、以下のように述べている。

 「君が代伴奏譜」には、初めの二小節と終わりの一小節半に和音がなく、歌と同じ旋律をユニゾン(同音)で演奏している。そのため、以前から「非音楽的だ」「恥辱的な国歌だ」と異義を唱える音楽家が多かった。中には、日本式和声を付けるべきだとして不思議な和音の自作譜を発表する者もいた。「君が代伴奏譜」がなぜ同音で書かれたか。元宮内省雅楽部長の阿部季功氏によると、編曲者エッケルトが「ここに複雑な音を入れることは、声は和しても何となく面白くない。日本の国体にあわぬような気がする。それゆえキミガヨにはわざと和声をつけぬことにした。最初につけぬから結びにもつけぬ方がよろしい」と意図的に和音を入れなかったのだと言う。

編曲者であるエッケルトの仕事だったらしい。

 このような「君が代」の音楽的批判の背景には、明治から昭和の初めにかけて、知識人たちの間に蔓延していた盲信的な西洋崇拝思想がある。最近では、このような「西洋カブレ」はあまり見かけなくなったが、相変わらず、能や文楽や歌舞伎より、シンフォニーやオペラの方が遥かに優れたものだと考える頑迷な思考の持ち主が消えたわけではない。

西洋音楽と日本伝統音楽をシステムの完成度で比較したとき、優劣は明らかである。西洋では「音」を「理論」としたが、日本では「音」を「感性」でしかとらえていないからだ。したがって、「作品・音楽理論・楽器・演奏法・編成法・教育法」のどれをとっても見事に組織されている西洋音楽と、個人的な体験を積み重ねて、それを口移ししている日本伝統音楽の間には、歴然とした差がある。

確かに、西洋の様を見ると、全て和音にしてしまいそうだ。そこをあえて、エッケルトは同音にしたあたり、非凡である。

ちなみにwikipediaの君が代の項によると、

1903年(明治36年)にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、『君が代』は一等を受賞した[11]。

らしい。

また国歌として11小節で最短という、俳句、和歌に見られる圧縮を行っているのも興味深い。

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任天堂・岩田社長曰くiPhoneよりもキンドルのモデルに興味ある

株主・投資家向け情報:2010年3月期 第2四半期(中間)決算説明会 質疑応答

決算説明会の質疑応答のやり取りがインターネット上のテキストとして掲載されている。この中で、岩田社長が応答しているが、人に対する説明が、本当に上手いなぁと感心する。株主説明会のプレゼンでも上手さを感じていて、そのときは事前に十分な準備をしていたから素晴らしいのだ、と思っていたが、突然の質疑に対して、こうも上手く返している様を読むと、もう、常時、相手のことをよく考えて応えているのだなぁ、ということが分かり、それに感心した。

 私は、iPhone型のビジネスよりは、キンドル型のビジネスの方が興味があります。それはなぜかと言うと、お客様が通信費を負担するのではない、新しいビジネスモデルを提案しているからです。

という流れからiPhoneの月額数千円を通信料を払わなければならない点を指摘する。

 一方で、キンドルのビジネスモデルはちょっと面白くて、いったんハードを買うと、中に3Gの通信機能が入っていて、いわば携帯電話のパケット通信ができるわけですが、お客さんは(通信のためには直接)お金を払わないんです。本をダウンロードで購入すると、その時に必要なパケット代は本の代金の中に入っているというモデルです。ただ、収益が上がっているわけではないと読んだことがあります。それでも、お客さんが負担しないでできている。しかも、最近はアメリカだけでなく、世界中に展開されています。日本のたとえばキャリアさんが、あのモデルにハッピーかどうかは私は分かりません。きっとどちらかというと、アンハッピーでしょう。ですが、うまくモデルをつくられたなあと思います。

キンドルのモデルでは、サービスにパケット料が含まれるため、月額量を気にする必要がない。つまり、顧客が任天堂に通信料を含めた料金支払いを行い、その中から通信キャリアに対して任天堂が支払いを行う形式ができたら、顧客が負担をしなくてよくなるので、月額料の問題を解決できる、という点だろうか。無制限に通信を使わせるのではなく、サービスそのものに通信料を考慮した通信のコントロールを持たせる方向であれば、お客様が金額を心配することなく、通信キャリアも無制限に使われることがないので幸せではないのか、という考えだろうか。

その他、SNSや携帯ゲームとの比較の質疑応答では、

 いわゆる携帯電話の無料ゲームというものは、無料でたくさん存在するわけですから、もし、そこで得られる面白さや満足と変わらない程度のものしかDSで提供できないとすれば、我々のビジネスというのは瓦解すると思うんですね。これは、ずいぶん前に携帯電話でゲームができるようになった時に、「これから携帯ゲーム機は携帯電話に飲み込まれていくだろう」と言われていたゲームボーイアドバンスの時代の議論と似ていると思うんです。

ということを出し、携帯ゲームを認めつつも、

一方で我々は彼らとどう向き合うかという意識よりは、「どうすればお客さんはわざわざ高いお金を払ってまで、任天堂プラットフォームのソフトを買っていただけるだろうか」、「そこでしかできない魅力的な体験とは何だろうか」、それが、携帯電話の無料ゲームで味わえるようなもの、あるいはiPhoneのたくさんあるゲームでできることと大差なければ、任天堂の未来というのは暗くなるでしょう

ということから、それが、顧客が高いお金を払ってまでやりたいものを作ることができるのだろうか、限定された体験を届けることができるのか、疑問を呈している。

その他、国内ゲームと海外ゲームの売り上げの差についてや、WiiをHD化するのかについてなど、面白い議論が多く掲載されているので、ゲーム業界や技術屋社長に興味がある人は一読されると良いと思う。

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jailed ssh な共有サーバサービスについて

前回の記事に書いた jailed ssh についてだが、RailsPlayground.com などの共有サーバ方式の格安なアプリケーション環境を提供する場合に利用されている。これらのサービスは共有サーバであるのに ssh ログインできるサービスである。

他のユーザのホームディレクトリにはアクセスできず、自分のホームしか見えないので jail な様子だ。root 管理が必要な例えば mysql のデータベース作成などの作業は cPanel という Web アプリケーションで作業させられる。どうやら、jailed ssh でカバーできないアクセス権は cPanel が管理しているようだ(一昔前は Plesk が多かったような…日本だけ?)。

VPS サーバあさりも飽きてきたので、最近はこの jailed ssh な共有サーバを借りていたりする。VPS サーバは root 権が与えられるので自由度が高い代わりに管理がしにくいが、jailed ssh の場合は管理が行いやすい事情があり、それがコストに反映されて格安で借りることができたりする(例えば年間 60ドル〜180ドル)。

しかし jailed な環境下では自由が利かない。 VPS はディスクが仮想環境下なので、プラン変更によってメモリ増加、場合によってはハードウェア移動が簡単に行える、OS も入れ替えることができる利点があるため、個人的には難易度が低い。使い分けが必要になってくる。

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ユーザのアクセス権を制限するjailed sshについて

例えば誰かにサーバにアクセス権を与えて、そこにファイルをアップロードしてもらったり、そこからファイルをダウンロードしてもらったりしたい場合がある。この場合、アクセス制限を行わないと、ルートディレクトリ / にアクセスされてしまうことがある。このサーバに公開したくないファイルが存在する場合、公開をためらってしまう。

このようなときは単純には FTP を利用し、設定ファイルにて DocumentRoot をユーザのホームディレクトリに設定すれば、ホームディレクトリ以上にアクセスされることはなく、ファイルの共有が可能になるが、FTP では暗号化が行われないため、不安が残る。

SFTP や SCP の運用を検討するが、これらは SSH 上で実行される。しかし、下手に SSH によるログインを許してしまうと、先に述べたとおり全てのファイルへのアクセス権が発生してしまう。そこでグループによる管理を検討するが、それでは誰がどのファイルを実行できるのかの見通しが悪くなってしまう。

そこで、必要外のファイルにアクセスできない環境を作る考えとして jail という概念がある。この意味は監獄であり、例えば iPhone において jailed break (脱獄)という言葉が記憶に新しい。jail 環境を実現する方法として openssh にパッチを当てる方法とログインシェルを独自のものにすることで実現する jailkit というものがある。

今回は jailkit を利用して Ubunut 上に jailed な ssh 環境を実現した。How to chroot ssh users using Jailkitのフォーラム記事を参考にした。

この記事中に sudo make install する箇所があるが作法としては checkinstall をインストールしておき sudo checkinstall とした方が後々に更新がしやすい。

jailed な環境下にどれだけの操作を許すのか設定することが可能だ。今回の自分の目的では、sftp, scp が利用できれば十分だったので、

sudo jk_init -v /jail basicshell
sudo jk_init -v /jail ssh
sudo jk_init -v /jail sftp
sudo jk_init -v /jail scp

とした。

さらに samba で [homes] の設定を行うことにより、samba (LANネットワーク内)と sftp (インターネットから)による両輪のアクセス制御を行うことができる。これによってファイル管理の運用が楽になった。

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国内ゲームハードメーカーは世界を向く

新型PSPがUMDを捨てダウンロード専売になった点についてにてPSPの新しい機種が発売されることについて考察した。

UMDドライブが廃止されることから、小売りを切り捨てダウンロード販売に切り替えることで、流通コストを減じて利益を増やす策だろうと見ていた。コストを減じることでソフトの価格を下げることもできるため、消費者にも嬉しい。また海賊版開発の理由とされた、UMDのシークが遅いという柱を取り払う効果もある。

が、違う見方があるようだ。記事の場所を忘れたのでリンクすることができないが、

国内的に見れば、このダウンロード専売はそこまで魅力的に見えない。それは小売りの店舗数が十分にあるからであり、地方でなければ町に1つくらいゲーム屋さん(またはゲームを販売してくれるお店)がある。しかしながら、海外の事情では、それほどまでにゲームを売る小売店があるわけではない。他の例では、漫画が海外でそこまで普及しない理由として、漫画を売る店舗が少なく、大きな店に車を走らせて家族と来た場合にしか買うチャンスがないという文化が影響していると分析している記事があった。このような売るチャンスに欠けているため。ゲームソフト、漫画に対してネットワークを利用した配信機構として、PSPに期待している部分がある。(SCEはコミックもPSPで配信していくとしている)

このためPSP goの発売日は海外が日本よりも1か月早く、国内よりもむしろ海外への戦略に目を向けているという理由づけになる。

任天堂がWii向け有料動画配信サービス「シアターの間」を年内開始,放送事業者に積極的な参加を呼びかけ
また、任天堂が、ゲーム屋さんに似合わない事業を展開しようとしている。

 「任天堂の売り上げの8割以上が海外からのものであることが示すように,ゲーム,アニメ,映像などの日本のクリエイティブは海外で受け入れられる」と語り,将来的にはシアターの間で海外向けの映像配信も検討していくという。また,「全国の放送事業者が過去に製作したアーカイブの配信も可能で,興味のある事業者はぜひコンタクトして欲しい」と,放送事業者に積極的な参加を呼びかけた

「売り上げの8割以上が海外からのもの」とあるように、日本のものを海外に売るためのパイプとしてのハードという立ち位置はSCEのPSP goのそれと変わりはない。

ネットワークに対応したテレビという側面ではなく、テレビに出力するゲーム機から、文化侵略を行うのは、向こうの映像文化の担い手とは独立したチャネルを利用することになるので、良い手だ。そのうちに、日本の映像文化に触れるには、まず日本のゲーム機を買う、という生活スタイルが生まれてくるだろう。そうなることで、動画共有サイトを踏み台にして、高画質なコンテンツの(日本との時差のない)早期販売が成立するビジネスモデルが構築できる。

技術立国日本から、文化大国日本への、移り変わりに必要な、動線技術であり、今後の展開に注目している。

「PlayStation Network」責任者に聞く、今後の展開〜「映像配信拡大」「コミック」「PSP goゲーム」はどうなる?〜

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