日本国歌は広がり、また収束する

日本国歌の歌詞についてはともかく、演奏される場合、楽曲として、始めの2小節と終わりの1小節は同音、ユニゾンで演奏されることが多い。多いというか、ほとんどの場合で伴奏は同音である。同音に始まり、和音に広がり、また同音に収束する様を聴くと、その楽曲に込められた様々な意味の想像を掻き立てられる。例えば、国民は1つから広がり、また1つになる、という意味のように。

調べてみたところ、作曲時点で同音の伴奏を付けていたらしい。
国歌になった君が代では、以下のように述べている。

 「君が代伴奏譜」には、初めの二小節と終わりの一小節半に和音がなく、歌と同じ旋律をユニゾン(同音)で演奏している。そのため、以前から「非音楽的だ」「恥辱的な国歌だ」と異義を唱える音楽家が多かった。中には、日本式和声を付けるべきだとして不思議な和音の自作譜を発表する者もいた。「君が代伴奏譜」がなぜ同音で書かれたか。元宮内省雅楽部長の阿部季功氏によると、編曲者エッケルトが「ここに複雑な音を入れることは、声は和しても何となく面白くない。日本の国体にあわぬような気がする。それゆえキミガヨにはわざと和声をつけぬことにした。最初につけぬから結びにもつけぬ方がよろしい」と意図的に和音を入れなかったのだと言う。

編曲者であるエッケルトの仕事だったらしい。

 このような「君が代」の音楽的批判の背景には、明治から昭和の初めにかけて、知識人たちの間に蔓延していた盲信的な西洋崇拝思想がある。最近では、このような「西洋カブレ」はあまり見かけなくなったが、相変わらず、能や文楽や歌舞伎より、シンフォニーやオペラの方が遥かに優れたものだと考える頑迷な思考の持ち主が消えたわけではない。

西洋音楽と日本伝統音楽をシステムの完成度で比較したとき、優劣は明らかである。西洋では「音」を「理論」としたが、日本では「音」を「感性」でしかとらえていないからだ。したがって、「作品・音楽理論・楽器・演奏法・編成法・教育法」のどれをとっても見事に組織されている西洋音楽と、個人的な体験を積み重ねて、それを口移ししている日本伝統音楽の間には、歴然とした差がある。

確かに、西洋の様を見ると、全て和音にしてしまいそうだ。そこをあえて、エッケルトは同音にしたあたり、非凡である。

ちなみにwikipediaの君が代の項によると、

1903年(明治36年)にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、『君が代』は一等を受賞した[11]。

らしい。

また国歌として11小節で最短という、俳句、和歌に見られる圧縮を行っているのも興味深い。

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