PS3をSSHでファイアウォール外界に接続する

HTTPプロキシとSSHしかファイアーウォールの外界に接続できない環境において、PS3やWiiを接続したい要求がある。

今回の作業で、そのような環境でもSSHとSSTPを用いることでPS3の外界接続を実現し、PSNに接続できることが分かった。

PS3はHTTPプロキシを設定できるが、ブラウザのみにしか適用されず、PSN(ソニーの資源集中で話題になっているネットワーク)やゲーム中でオンラインに接続する場合にはHTTPプロキシが適用されず、外界に出ることができない。

そこで、VPN的なものを利用して、どこかを中継しなければならない。

今回、何故かSSTPをWindows 2008 serverを利用して構築している方いたので、その回線を利用させてもらった。自宅がマンションの光タイプということで速度は十分だった。SSTPはSSL回線を用いて接続することができる(らしい)。SSTPはWindowsの独自プロトコル。

SSTPによるHTTPのSSLを利用した接続も試してみたらしいが、ポリシーが厳しいためが出来ないようだった。そこでSSHトンネリングと組み合わせて接続することで、簡単にVPNを構築することができた。

途中、その方はPPTPサーバも立てているということで、PPTPでもチャレンジしてみたが、GREのIPプロトコル番号47が通らなかった。その点、SSTPはSSLで接続できるので、良いVPNプロトコルだと感じた。

SSTPクライアントはVista以降でしかないらしい。2008 serverの利点は簡単にSSTPサーバが実現できることだ、とも作業しながら話した。

その後、LAN接続したPS3をSSTPクライアントと接続するために、SSTP接続で「インターネットの共有」オプションを有効にして、PS3側は自動接続のDHCPクライアントを実行して、無事に接続することが出来た。

光回線とのVPNだけあって、イーモバイルの共有よりも速度が改善された。

もし、Windows 2008 serverとクライアントにVistaを利用することがあれば、SSTPサーバを試してみてはどうだろうか。

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作業部屋の整理・整頓・掃除におけるメカニズム解明の研究

作業空間の整理整頓・掃除は、自身の大きな課題で掃除タイマー作ったり、一気に掃除したり、大変だ。

自身は掃除のスキルを持っていない。逆に見れば、掃除スキルを覚えることができれば、どのようなメカニズムで掃除が行われているのかが分かるはずだ。そこで、長年の目標である掃除メカニズムの解明に向けて、毎年、ゆっくりと掃除手法についての研究を進めている。

初期状態

初期状態では、床も机の上もカオスな状態だった。使ったら使いっぱなし。作業に邪魔になったら机の上におく。机の上におけなくなったらカゴに置く。カゴに置けなくなったら床に置く。床に置けなくなったら、積む。積めなくなったら、作業が出来なくて詰む。

汚部屋の完成だ。

このままではいけないと思い、部屋をまるまる掃除する、詰むの繰り返し。そこで1つの変化を与えるために1つ、ルールを定めた。

「机の上にモノを置かない。」

机の上にモノを置かないルールで1年

そもそも机の上に書類や筆記用具やPCが出しっぱなしになり、そのノリで積みあがっていくことが自身の経験から分かってきた。机の上が整理できてこないと、作業の能率の低下が顕著だ。そこで、机の上にモノを置かないというルールで1年間を過ごした。

作業する。片付ける。の作業が意識として出てきた。その時点ではカゴは廃止した。カゴに入れて問題が解決したことがないからだ。机に置けないとすると、床に置くしかない。

結果として、床に積みあがった。が、机は作業が出来るようになった。この状態で床の積みあがり具合は詰む程度ではなく、歩ける状態だった。

この調子で再度、一気に掃除を行い、さらに制限を増やしてプレイしている。

机の上にモノを出しっぱなしにしない、床の上にモノを出しっぱなしにしないルール

もともと、モノを出したりしまったりする作業は大きな時間のロスになる、という考えが自身の中では支配的だった。その考えを改め、モノを出すロスもしまうロスもあえて受け入れる概念を意識するようにした。

机と床にモノを出してもしまうという制限をつけると、モノのおき場所がない。この時点で、はじめて”引き出し”と”本棚”という物体の利用方法が分かった。作業を始めるときには”引き出し”からモノを出し、作業を終える場合には”引き出し”にモノをしまう。

そうすることで、作業を行っていないときの机はモノが置かれないし、当然、床にも散らばらない。引き出しとは素晴らしいものだと思った。

現状では机の上にノートPCを出しっぱなしにしている。利用しているうちに引き出しの容量が足りないことに気がついてきた。この引き出しにノートPCを入れることが出来れば、簡単に作業開始・作業終了が行える。机の上にモノが置かれない状態が確保できる。ノートPCであれば大き目のバックに入れて吊るしておくのもいいかもしれない。どうするかは検討課題だ。

現状は目に見える範囲では、本棚が本で溢れている。何冊かの本を捨てるか、移動するか、本棚を追加するかしなければ、今後、本は増やせない。整理整頓のTIPSとして、置く場所がないうちには買わないという方針が良いらしい。これについても検討課題だ。

感想

まさに、部屋の掃除も、要るものと要らないものの整理、リストラ(再構築)なのだと思わされた。ちなみに今回のリストラは、ゴミは捨てたが、それ以外の微妙なものは倉庫に突っ込んだ。企業で言うところの、微妙な部署、というところか。最終的には、倉庫も掃除しなければなるまいが、作業部屋よりかはモチベーションが落ちるので、作業部屋の研究が終わってからにしよう。

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PPVモデルと広告モデルとPPMモデル

テレビ放送のインターネット配信モデルの課金手法について、ぼーと考えていた結果を書く。

Pay Per Viewは、特定プログラムに対して、課金をするモデル。例えばその時間の1番組(映画だったりドラマの1話)を買うモデル。

このモデルに関して思うことは、シリーズモノで特段に面白くない回があった場合、それ以降のPPVは特段に落ちそうだ、という心配があることだ。実際の数字を見ていないので分からないが。

広告モデルは、広告スポンサー企業が視聴者の代わりに番組の制作費を払うモデル。

特段につまらない回があっても、無料なので視聴者は惰性で見るだろう。しかし、スポンサーに都合の悪い情報は出てこないし、スポンサーのターゲッティングに合わせた番組作りが行われる制約があるだろうと予想される。

この中間地点に位置して、特段につまらない回があっても次のチャンスがある視聴課金方法はないか思考実験を行ってみたところ、Pay Per Monthが浮かんだ。月額料金。そのモデルにてお金の動きを考えてみたところ、2つあることに気がついた。

1つは、インターネット放送局が制作会社から番組を買って放送するモデルの場合。インターネット放送局と制作会社の契約内容によって、それぞれの儲けが左右される。

もう1つは、インターネット放送局が”視聴率”によって制作会社に配分するモデル。この場合、インターネット放送局は自らの取り分を始めに取ることができるので、食えなくなることがないが、制作会社は数字に左右される。つまりインターネット放送局がJASRACのような配分を行うモデル。

どちらとも月額料金なので、面白い番組が1つでもある限り、続けられる。面白くない番組でも見てもらえているうちに成長できるかもしれない。

JASRAC配分モデルは視聴率を、どのように定義するのかで決まるかもしれない。再生回数か、再生時間か、再度視聴が行われた場合はどうするのか等々…

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余計なものを整理し再構築することを

余計なものを整理し再構築することを、リストラと言います。多分。

佐藤可士和【2】何も変えない。余計なものを整理し再構築する:日経ビジネスオンライン

「フリースの大ヒットなどによってブランドの認知が進んでしまったがゆえに、逆に柳井氏がユニクロを立ち上げた当時のユニークさというものが埋もれてしまい、焦点がぼやけてしまっていた」

という問題点を指摘し、

「ユニクロというブランドの強みは何か、もう一度本質に立ち戻り、それを磨き上げること」

という解決方法を示唆している。

可士和先生は佐藤可士和の超整理術を買ったの記事に書いてある通り、「宣伝素材の本当の良さは何なのか」を追求される方。それまでは、”デザイナーは宣伝素材を伝え(やすくす)ること”と思っていたが、氏の本を読んで、デザイナーとしての伝える仕事の前段に”宣伝素材の本当の良さは何なのかを追求すること”があるということを知らされた。

今、自分がやっていることに意味を感じなくなった場合は、ゼロリセットして、1つずつ価値を再考していくのもいいだろう。本当の良さは何なのかを追求すること。そして価値をなさないと判断されたものを切るのがリストラ。単なる人員整理ではない。

ということを、このマンガ【プロローグ:突然の社長就任】融資打ち切りの通告!|マンガ 餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか?|ダイヤモンド・オンライン【プロローグ:動かないコンピューターの責任は誰に?】 会社が再び大ピンチ! 過剰なシステム投資の高い代償|マンガ 美容院と1000円カットでは、どちらが儲かるか?|ダイヤモンド・オンラインを見れば分かる、かも。

最近、絵解き話に興味があり、「やる夫の学ぶシリーズ」についても興味がある。Amazon.co.jp: マンガでわかる統計学: 高橋 信, トレンドプロ: 本などが最近は流行りのようだが、買うべきか迷っている。

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昨今、不況の影響でリストラの嵐が吹き荒れているが、中には、自分を見つめなおして、事業を始めたりする人がいるのではないかと思ってたりする。不況の中で生まれるものがある。それは不況の後も残る。不況こそが最高の再構成物を生み出す土壌だからだ。考えようによっては、今がチャンスだ。そのような人にとって、リストラによって人が流動しているからこそ、捕まえられる人もいるかもしれないからだ。

リストラされた人間は利益を生み出す仕組みの歯車になれなかっただけである可能性もあるので、自分の価値を高めるきっかけになるかもしれない。

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学生には間違ってもいい権利がある

価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない – 発声練習

君が卒論に苦しんだ理由は自分でも分かっていると思うけど、常に外部に正解を求めたことにあるんだ。私が「どうして、それが正しいと思うの?その理由を教えて。」と聞くと、いつも君は表情を凍らせて黙ってしまったね。

大学院の教授がクソだと言われる一つの理由

「精神的な背骨が育っていないから」ではなくて、自分の意見を言わないのはそもそも研究の目的が理解できてないから。間違うのがわかってて、それを論破されるのがもうほぼ確実に予想出来てるのに、わざわざ自分からフルボッコされるようなこと言うわけないじゃん。もう黙ってるしかないじゃん。

前述の記事ではおそらく自分向けの自動質問サービスを作ろうとして撃沈されたにあるような系統の質問のことを指し示しているのだろうか。

この2つの記事を読むと、思うところがある。1つは価値基準を何処に求めるか。そしてもう1つは研究の目的を重視するかどうかだ。

自分自身、修士学生だった当時は、「工学系なので、前者は結果を出せればいい。後者は、商業利用できればいい。」と考えていた。修士時代は後者の研究の目的を商業利用まで視野に入れて基点に定め、それを実現する手法を列挙し、そのうち1つに着目するというストーリーで話を進めた。

しかしながら、研究の目的を明確に、特に商業利用、工業利用までもって行き辛い課題もあったことは確かだった。数年の間見続けた結果、動機付けがそれほどでなくても、研究が続けられるのであれば、それはそれで1つの答えなのだろうな、と思うようになった。それも個人差の1つだと勉強させられた。

今回の価値基準の話についてはおそらく表現者としてやっていくための条件としての話なので、他の分野でもそういえるかどうかは限らない。自己評価に自信過剰であれば”他の文献を読むこと”を薦めるだろうし、自己評価に自信がなくて発言できないのであれば「間違ってもいいから言うべきだ」と言うだろう。

ただ、この問題の前提としてあるのは、”何も考えていない”ということではなかろうか。自分の意見があるなら言うようにすれば良いが、何も考えが浮かんですらいないという状況もあるかもしれない。そうした状況下では、意見がないのだから、何もいえない。

違和感だったり、思い付きだったり、アイディアだったり、発想という言葉だったり、する。自分自身、人と話すたびに、そうしたアンテナの違いを感じてきた。ある時、「どうしてそれが見えていないんだよ!」と言われたことがある(おそらく時間軸を引き伸ばせば複数の人に)。それは自分の視覚分野についてのことだったが、このような個人差が思考分野でも言えるのではなかろうか。

個人的には、思考分野では他の人がしないだろう、馬鹿な発想をすることに重点を置いている。

また自分が弱いと感じている視覚分野の気づきを高めるために、元旦にイオンレイクタンに1時間ほど居て無線LANアクセスポイントに対する視覚的な感想を述べる努力をしてみたりしている。

こうしてブログを書いている行為そのものも、「間違っているかもしれないが、自分の考えを外に出す。間違っていると判断した誰かにその違和感を教えてもらうこと、もしくはそう思うのであれば同意してもらうこと。」を期待してのものだ。この記事が読める人間であれば、それが間違っているものか正しいものかの判断ができる自分なりの価値観を持っている人たちだと思う。

こうした文字を打ちながら、自分の考えを外に出すことは恥ずかしいことだとも感じる。特に自分自身が社会から剥離していると自覚しているからだ。しかし、自分の稚拙な考えを外に出さなければ、それが稚拙だったという間違いにも気づけない。そうしたことを前述の記事は言いたかったのだと思う。

よって、他人に対しては「学生には間違ってもいい権利がある。社会に出てから間違うなよ。」と言うことにしている。もちろん、社会であれば「新人には間違ってもいい権利がある。仕事をする立場、教える立場、偉い立場になってから間違うなよ。」と言うようにしたい(いわゆる社会には出ない人間が…!)。

自力でやろうとするのは素晴らしい。自分の限界を超えるために他力に頼るのもいい。しかし他力本願も、自力本願も、偏りすぎると、どうかと思う。偏ったものには価値を感じるのだが、これはどちらかというとバランスを取ることの方が難しい類なので、バランスの方に価値を感じている。これらを上手い具合にバランスする方法はないものだろうか?

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最近テレビが面白くなくなったと感じている場合の別の角度の考え方

最近テレビが面白くなくなったと感じている場合、テレビ局側が面白い番組を作れなくなったと考えることは自然だ。かつ、視聴率を見ることで全体的にどれほど見ているのかが(視聴率調査を信頼するなら)分かる。

そう考える前に、”自分がテレビを見なくなった=テレビが面白くなくなった”のは何故か、考えると面白い。テレビが面白くなくなる理由はいくつか考えられる。予算をかけられない、製作陣が弱くなった。安易な視聴率獲得に走っている。

テレビがスポンサーありきな存在の場合、マーケッティング的にこうも考えられないだろうか。

自分が、喜ばせられるターゲットから外された。」

テレビはスポンサーが広告宣伝費を費やすことで無償で見ることができるが、スポンサーとしては広告費によって、自社の製品・サービスが売れるようになることが目的だ。自社の製品が売れるためには、買ってくれる顧客に番組を見せる必要があるため、ある程度のターゲティングを行う。

そのターゲティングから自分が外されているという考えを今思いついて、面白いと思った。つまり、自分にその番組(とCM)を見せられても買わないのだ。

以前、トヨタの奥田氏がマスコミに報復してやろうなどの発言を行ったが、それはスポンサーとしてテレビCMに効果があるのか疑問視している点も含んでいると考えられる。

広告とはその時代によく売れる層に打ちたいもので、”CMになんか騙されないぞ”と常に考えているような頭のよろしい方には打ちたくないと考えられる(ちゃんとしたCMを作れればいいのだろうが)。そこで、ある程度、騙されやすい(ブランド志向・広告重視指向)な方が多い番組を作ろうとする。

よって、テレビ番組を見ていて「それ、面白くない」と思う場合は、ターゲットが変更されている可能性もあるので、素直に退場することも選択肢の1つだ。

最近の○○番組は面白くない!という発言を聞くことがあるが、自身が金を落とさない層と認定されているかもしれない。つまり時代の購買層から外れていっているのだ。利益を生まない層と認定されているので、面白い番組を見せる気がしない。

それを踏まえた上で書こう。

最近のゴールデンタイムの番組はどうかと思う。面白くない。見てもないが書いてみた。

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控訴人は,NHKに対し,4259万1214円を支払え

前回書いたロクラク裁判判決文を遅れながら読んだ。

控訴人が日本デジタル家電サービス(ハウジングサービスを行っている側)。被控訴人がNHKと愉快な仲間(フジテレビ等)たち。

被控訴人の望みはこれ。

ア 控訴人は,被控訴人NHKに対し,4259万1214円及びこれに対する平成19年8月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
イ 控訴人は,被控訴人日本テレビ,同TBS,同フジテレビ,同テレビ朝日及び同テレビ東京に対し,それぞれ279万8357円及びこれに対する平成19年8月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
ウ 控訴人は,被控訴人静岡第一テレビ,同SBS,同テレビ静岡及び同あさひテレビに対し,それぞれ2038万0500円及びこれに対する平成19年8月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

気になった点は以下の通り。
以下の流れは、判決文を読むにあたり、筆者の頭の中で繰り広げられた論争であり、実際の裁判風景となんらかかわりはない、ことに注意していただきたい。

設置場所の管理と支配

被控訴人らが主張するとおり,親機ロクラクが控訴人の管理・支配する場所に設置されているとしても,次項において認定判断するとおり,本件サービスにおいて控訴人が本件番組及び本件放送に係る音又は影像の複製(以下「本件複製」という。)を行っているものと認めることはできないから,以下,当該設置状況については,利用者が親機ロクラクを自己の管理・支配する日本国内の場所(留守宅等)に設置することを選択した場合(以下「利用者が親機ロクラクを自己管理する場合」という。)を除き,すべて控訴人の管理・支配する場所に設置されているものと仮定して検討することとする。

「ハウジング業者が管理・支配している場所に設置されているとしても、ハウジング業者が主体的に複製をやってると認められないんだから、ハウジング業者が管理・支配している場所に設置したという仮定で検討しようね。」

つまり、これはテレビ局側が、”ハウジング業者が管理・支配している場所に設置してあるんだから、ハウジング業者が主体的に複製やってるんじゃないっすかwwww”と言いたい、ということだろう。

主な検討内容は以下のとおりである。

?本件サービスの目的
?機器の設置・管理
?親機ロクラクと子機ロクラクとの間の通信の管理
?複製可能なテレビ放送及びテレビ番組の範囲,
?複製のための環境整備
?控訴人が得ている経済的利益を総合すれば,控訴人が本件複製を行っていることは明らかである

本件サービスの目的
裁判所「海外での視聴を可能にするものだってのは明らかだよね。親機を管理してんのは控訴人で、利用者自身が管理すんのとはちょい違うけど、控訴人が複製やってんのかというと根拠ないよね。」

機器の設置・管理について
テレビ局「控訴人が親機とテレビアンテナと付属品の管理・支配やってんじゃん!」
裁判所「そんなんじゃ控訴人が複製やってるって認めらんねーよ。理由いってやろうか?」
裁判所「地上波アナログ放送を受信できてインターネット環境があるってことは必要不可欠の技術的前提条件だ。でもこの必要不可欠の技術的前提条件って自己管理するときも一緒だろ?」
裁判所「で、必要不可欠の技術的前提条件ってのを提供したからっつって控訴人が受信・録画・送信やったって言えないじゃん。こんだけで録画行為を支配したって言えねーよ!」

親機ロクラクと子機ロクラクとの間の通信の管理について
テレビ局「おい!親機ロクラクと子機ロクラクとの間で控訴人のサーバ使ってんぞ!これは控訴人の支配ktkr」

テレビ局「詳しく説明してやろーか。?http使ってんだよ!」
裁判所「それ、httpを採用したメールサービスっしょwwww」

テレビ局「?録画予約及び番組データの送信するために控訴人が用意したんだよ!」
裁判所「は?まぁ、いいや。後でやるわ」

テレビ局「?控訴人がIDによる認証やってんだよ!」
裁判所「メールサービスで認証やるの普通っしょwwww」

テレビ局「?この通信、控訴人のファームウェア使ってんだぜ!」
裁判所「で?」

テレビ局「?この通信、控訴人が定めた以外の通信はできないんだぜ!」
裁判所「別に利用者が自己管理する場合でも一緒っしょwwww」

複製可能な放送及びテレビ番組の範囲について
テレビ局「?ろ、録画できる場所に!限定されるじゃn!」
テレビ局「やっぱ控訴人の管理・支配じゃね?」
裁判所「別に受信できるテレビ放送が設置場所に左右されんのは、この機器に限らねーだろ!」

テレビ局「あ、後、録画可能なテレビ番組が!?控訴人のサーバから取得した番組表に限定されんじゃん!」
裁判所「だから利用者が自己管理する場合と変わんねーじゃんってばよ!」

複製のための環境整備について
テレビ局「?このサービスはな!子機ロクラクを使って、こいつの手順に従わなきゃ、親機ロクラクにアクセスして、予約録画とか録画番組とかできねーんだよ!」
裁判所「それって自己管理してる場合とかわんねーって」

テレビ局「?だから、控訴人はファームウェアを開発して組み込んで、控訴人のサーバを経由してできるようにしてんじゃねーかよ!」
裁判所「それって自己管理(ry」

テレビ局「?親子ロクラクはこういうサービスをやるための専用品だろ!?」
裁判所「自己管理乙」

控訴人が得ている経済的利益について
テレビ局「控訴人がどんだけ儲けてるか教えてやろーか!」
裁判所「親機ロクラクの保守・管理費用はとるの当たり前じゃねーか。”録画したかどうか”とか”録画回数”で変動する価格じゃねーから、”複製の対価”を受け取ったとは考えられねー。」
裁判所「仮にそんだけ儲けてよーが、”複製の対価”とは考えられねーからどうでもいんじゃね。」

まとめ
裁判所「控訴人が複製やってるとは言えねー。私的複製の範囲内っしょ。」
裁判所「ちょっといいこと言っておくわ。」

かつて,デジタル技術は今日のように発達しておらず,インターネットが普及していない環境下においては,テレビ放送をビデオ等の媒体に録画した後,これを海外にいる利用者が入手して初めて我が国で放送されたテレビ番組の視聴が可能になったものであるが,当然のことながら上記方法に由来する時間的遅延や媒体の授受に伴う相当額の経済的出費が避けられないものであった。しかしながら,我が国と海外との交流が飛躍的に拡大し,国内で放送されたテレビ番組の視聴に対する需要が急増する中,デジタル技術の飛躍的進展とインターネット環境の急速な整備により従来技術の上記のような制約を克服して,海外にいながら我が国で放送されるテレビ番組の視聴が時間的にも経済的にも著しく容易になったものである。そして,技術の飛躍的進展に伴い,新たな商品開発やサービスが創生され,より利便性の高い製品が需用者の間に普及し,家電製品としての地位を確立していく過程を辿ることは技術革新の歴史を振り返れば明らかなところである。本件サービスにおいても,利用者における適法な私的利用のための環境条件等の提供を図るものであるから,かかるサービスを利用する者が増大・累積したからといって本来適法な行為が違法に転化する余地はなく,もとよりこれにより被控訴人らの正当な利益が侵害されるものでもない。

裁判所「あとカラオケ法理と本件の事案は違うっしょ。」

個人的感想
この裁判、控訴人側弁護士4人に対してテレビ局側弁護士は総勢23人という内容のものだということが、判決文から分かる。この4人の弁護士はよく戦ってくれたと思う。

この判決文を読む限りテレビ局側はアンテナとサーバの管理・支配をえぐって控訴人側を追い込もうとしてるのだけれども、アンテナについては技術的前提条件、サーバについては自己管理の場合も一緒という風に押しのけている。

今回の裁判のキーワードは「自己管理」だった。”自己管理の場合も一緒である”ことが言えれば、ハウジングサービスは設置場所の管理・支配が異なるのみで、録画予約・番組視聴の主体性は利用者側にあるということが言えそうだ。早い話が、自分が買ったロクラクを友人に預けた場合、その友人が主体的に録画をしているのかということになる。

よって、市販品(もしくは準じる形)で、録画キットを自己管理できる状態で販売することができれば、このようなハウジングサービスは適法であることが言える、ということが分かる判決文だった。

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