NECのExpress5800/S70買ってWindows7入れた

NTT-X StoreのExpress5800/S70が14,700円の価格ということで、「安いよ〜安いよ〜」と煽っていたら欲しいとおっしゃるので、買った。

前回のディスプレイと同じく、注文した次の日に届いた。恐るべし。

・今まで使っていたのがノートPC&型落ち(Pentium 4 2.4B)
・PCは音がうるさくて当たり前
・PCは大きくて当たり前
・今までのキーボード&マウス&ディスプレイ使う

という条件化だったので、よい買い替えが出来たと思う。

届いた製品を見て驚く、紙が1枚しか入っていない?マニュアルはCDのみ。いいね。エコだね。エコなんて信じないけれど。

別件で別の人間に買わせていたのだが、話によると、WindowsXPのインストール後にドライバ入れるのが面倒という話だったので、ドライバの心配がないWindows 7のRCを入れた。そもそもAHCIはWindows XPは標準で対応しないとか、面倒そうなので。

Windows 7のインストールはあっさりしていて、それでいて、しつこくなく…、CDブート上で既にWindowsPEっぽいGUI、つまりVistaのウィンドウ枠が表示されるなどフレンドリーになっていて驚いた。インストールの作業はWindows上のGUIで操作している感覚で分かりやすかった。そして操作する内容も少なかった。

インストールが完了後、起動して驚いたのは、ドライバを1つも手動でインストールしていないのに、もう使える状況になっていたことだ。1920×1200のディスプレイを当初から認識してくれることは嬉しい。そうだよ、ドライバの提供に定評のあるWindowsだからこそ、ドライバの認識は自動で出来て欲しかった。

実際の利用者に使わせてみたところ、速さに驚いていた。そりゃー、型落ちのノートPCのHDDはめっさ遅いだろうから、それがマトモになるだけでも早いのだろう。Windows XPからWindows 7への移行だったので、少し心配だったが、大丈夫だとおっしゃるので大丈夫なのだろう。

これは自分用にも買うかもしれないと思い、再度NTT-Xをのぞいてみたら、もう無かった。次の新製品まで待とう。

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ブラウザによるファイルのダウンロードについて

Windows 7のRCをダウンロードするサイトにて、Windows 7のISOイメージをダウンロードするために、Java appletを利用する点に驚いた。

ISOイメージは2.5GBもある。そのダウンロードのコネクションが途中で切断されたしまった場合、通常のダウンロードでは始めからやり直しとなってしまうため、Java appletを用いているのだろう。

しかしながら、Java appletはSUNの土俵だ。

Microsoftは自社の製品を使うことが多く、このようなダウンローダーを提供する場合、Microsoft製品、例えばSliverlightで実装する。Sliverlightが他のOSでどのような状況であろうと使う。そのことにMicrosoftのある種の潔さが見えていた。Microsoftが今回、appletを用いた真相は分からない。

そもそもファイルのダウンロードにおいて、Windowsというシステムの構造上、ブラウザでダウンロードを行った場合、ファイルがずっとロックされてしまうため、ダウンロードしながらの運用が上手くいかない気がする(読み込みだけは出来るのかしら)。ヘタにブラウザのプロセスでダウンロードに作用使用としてしまった場合、ブラウザごと巻き込んで落ちてしまうので、面倒だ。

そこで、ブラウザのダウンロードに関してはダウンローダーというブラウザとは別のプロセスで動作するアプリケーションを利用することがある。ダウンローダーはダウンロードに特化しており、速度改善やプロセスの分離によってブラウザが落ちてもダウンロードが継続する利点がある。ダウンローダーのものによっては、ダウンロードしながらの再生にも対応できるだろう。

正直なところ、Windowsの進化の過程で、ブラウザのダウンロードはインターフェースとして分離され、ダウンローダーという分野に切り離されていくだろうと思っていたが、そうでもないらしい。例を挙げると最近のWindowsではウィルスソフトのインターフェース周りが整っている。

ダウンローダーはサーバに余分な負荷を与えるものも多いため、そのようなものが標準化するのもどうかという話なのかもしれない。

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新型PSPがUMDを捨てダウンロード専売になった点について

PSP goの名前で新型が発表されたPSPだが、その1番の驚きはUMDドライブを捨て、ダウンロード販売のみに絞った点だ。

以前から、SONYブランドのゲーム機には、SONY独自技術を載せることが多く、標準品ではないゆえにコストが増加しているような感覚があった。PS3でUSBやBluetoothを採用したことが画期的であったように、新型のPSPでもBluetoothを採用するなど標準化された方式を扱っている。

PSP goがダウンロード専売を狙うのは、UMDドライブを廃止することによって、小型化・軽量化・長時間駆動・大容量メモリー・ソフトウェアのコピー防止・ソフトウェアの低価格化を可能にするからだ。反面、ブロードバンド加入していなければ利用することが難しいし、小売店の評判は良くはないだろう。

実際にネタとしては新型PSP(DL専用)発表に小売店が激怒 「私達お店はもういらないって事?」のような話があり、今後共にゲーム機と小売店の関係は変わっていきそうだ。

大企業のフットワークが悪くなる理由の1つに、過去のステークホルダーとの関係をキルことが出来ないという問題がある。今回のケースでは小売店の販売ネットワークをどうするのかという問題だ。現時点において、小売店のネットワークを断絶することは得策だとは思えないので、何らかの関与を残すのではなかろうか。ただし、長期的な視点で見れば、ゲーム専売の小売店が生き残るのは難しいのではなかろうか。

おそらく彼らはこんな単純なことを考えてはおらず、もっと複雑な事情もあったことでの発表だろうが、今回はよく決断したな、と思う。

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myloのライン使って別の製品作ろうと思ったら、ちょうどPSPがすっぽり入っちゃってラッキーみたいな?

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知識に溺れずに分かりやすくすることで共感を得た篤姫

NHKは本当に変わったか――実力か、民放各社の衰退か?(上) (1) | 企業戦略 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンラインにて、NHK会長となった福地氏とNHKの様子が語られている。

特に気になったのは以下の点だ。

キーワードは福地茂雄会長が就任当初から掲げる「視聴者目線」。その筆頭が昨年、大ヒット番組となった大河ドラマ「篤姫」だ。

 幕末モノは当たらない――。これが、篤姫以前の大河ドラマのジンクスだった。その理由について、「篤姫」の佐野元彦チーフ・プロデューサーは、「戦国時代などに比べ、幕末は数え切れないほどの参考資料がある。作り手が知識におぼれてしまい、マニアックになりがちだった」(佐野氏)という。歴史番組としての質は高くなるが、ドラマとしては視聴者の共感が得にくかったのだ。

 そこで、佐野氏が追求したのは、視聴者のわかりやすさだ。「1年間で一人の女性が成長していく姿を描くことに専念し、視聴者の気持ちが乗るように計算した。わかりにくいものは、思い切って捨てたことがよかった」と分析する。

「幕末は資料が豊富であり、作り手が知識に溺れ、マニアックになりがちだった」ということがあったようだ。

大河ドラマは歴史を長尺で伝えるというコンセプトがある限り、視聴者を飽きさせない仕組み・次を見てもらう仕組みが必要だ。そこで”1話1話で盛り上がる場面”を用意する。そのためには歴史書をひもとき、詳しく考察を行う作業が必要になるかと思われる。その過程で、全てを伝えたいという思いが出てきてしまうことで、本編の話には関係のない端切れが多く存在し、それが感情移入を妨げてしまったということだろうか。

マニアックに溺れるということはコアな視聴者(マニアック?)しか喜ばず、新しく興味のある人はドラマに入りにくいという状況を生み出していたのかもしれない。

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ケータイ小説とNDSから文学の再発見を紐解く

任天堂本を買ったので読んでいる。最も気になるのがニンテンドーDSのターゲティングの巧みさだが、岩田氏の弁ではこの通りだ。

今日起こっているような現象を、『いやぁ、前からわかっていました』と言えたら格好いいんですけど、そんなことはない。方向は正しいという自信はあっても、こういうスピードでこういうことが起こるとは思っていませんでしたというのが正直なところです。ああ、物事が変わる時というのは一気に変わるんだなと、逆に感じているくらいで、世の中の皆さんが何をきっかけに大きく反応してくださるのかというのはわからない

つまり、正しいと思う方向に舵をきったのだが、それが成功する絶対の確信はなかった、ということではなかろうか。

クラウン開発者の中村氏の

開発は夜行列車の運転のようなものだ
先が続いているかどうかなど、誰にも見えない

という言葉を思い出す。漢語録 漢の名言集・名台詞集 プロジェクトX

ハイスペック化、操作性が複雑化していく中で、任天堂の出すゲーム機は操作性が簡単(直感的)で今までにない新しいものを作ることが課題だった。その結果、山内氏が「2画面や・・・」と言い残したのをヒントにニンテンドーDSが開発された。

操作性が複雑化していくことで、コアゲーマー以外のユーザー、つまり新しいユーザーや女性層が購入しにくい、という印象が付きまとうようになる。結果的に購入者である「お母さん」に嫌われてしまうゲーム機になってしまい、購入を抑制されてしまう。それを解決するために、誰でも簡単に利用できるという操作性が課題となった。

この話を読んでいて、関連性があると思ったのは、ケータイ小説やライトノベルという文学についてだ。ケータイ小説については、第3回日本ケータイ小説大賞「あたし彼女」を気合いで一気読みした感想くらいのものしかないし、ライトノベルは読んですらいないので、この直感は間違っているかもしれない。

現在の文学における小説の課題は、その小説の文章量を読める人が少なくなったことにあると仮定する。小説を始めとする文学は「行間を読む」という言葉があるとおり、文字と文字の間から風景を、文字の使い方から情感を読み取る力があって始めて楽しむことのできるものだと理解している。つまりコア読者しか楽しめない世界になっている。

コア読者のみを対象とする文学しか存在しない場合、新しい文学読者が入りづらい状況になる。娯楽として楽しむのに解釈が難解であるものは、すぐに諦められてしまう。入り口となるエントリーモデルでは、すぐに解釈できて話もそこそこ面白いものが必要とされていた。エントリーモデルをクリアしてもらえれば、少しずつ高い壁を越えることも可能になる。そこで誰でも読むことの出来る文学としてライトノベルを、誰でも何処でも読むことの出来る文学をケータイ小説として認知するに到る。

このケータイ小説に対する批判は、国語力の低下=学力低下の一旦として取り上げられたり、スイーツなどとして馬鹿にする風潮がある。しかしながら、この流れと言うものはニンテンドーDSの目指した、「今までゲームを行っていない人へのアプローチ」と非常に似たもののように感じる。ケータイ小説への批判を同じようにニンテンドーDSに行うならば、”ゲーム力の低下=製品理解力の低下=脳力の低下”、”目が悪いから高画質じゃなくていいんじゃないの(笑)”であり、やはりスイーツ(笑)だ。

しかしながら、ニンテンドーDSはゲームそのものの面白さを再発見することに注力し、誰でも購入できる価格に抑え、世界でバカ売れしている。この流れがケータイ小説にも当てはまるとすれば、ケータイ小説は”文学そのものの面白さ”を再発見することに至り、また誰でも読むことが出来るので文学の解読力の向上、文学の再発見に至るだろう。

このように世の中で価値の再発見を促すような文化、サービス、製品に対して目を向けてみると、非常に面白い。格安のノートPC、格安の24インチディスプレイ…。高度化して複雑化した娯楽に新しいユーザーが入りにくい分野がいくつかあるのかもしれない。そうした目を持てば、評判などの雑音を一度消して、素直に考えてみることで、また1つ世界が面白くなるはずだ。

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万越えを果たした電気代の省エネ大作戦の結果

時に今時の地球に優しい自宅サーバを考えるにて、万越えを果たしてしまった電気代を解消するべく、検討を展開した。

結果として、NetbookサーバはLenovo IdeaPad s9eで決まりかという寸前まで達したが、s9eは買わず、BenQの24インチディスプレイを買ったよレビューをしてしまうなど斜め上の展開を見せた。

気づいたら4月分と5月分の電気代の請求を見直す機会があったのだが、万越えをしていた電気代が5千円台に収まっていた。しかも2ヶ月連続。電気代には3段階料金制があり、3段階目がめっさ高いのだが、2段階目に抑えられている。事前の想定では、第3段階目料金の支払いは不可避としていたので、驚きだった。

非常に良い成果が出ていたので軽く小躍りしたくなった。年間で6万円程度の節約だ。むしろ、今まで何に使っていたのかが知りたい。電気コンセント引き抜き大作戦を一気に施行したので、どれが原因なのか分かっていない。

結果的にオーライなので、虎視眈々とサーバの再起動チャンスを狙っている。

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任天堂本を買った

Amazon.co.jp: 任天堂 “驚き”を生む方程式: 井上 理: 本。任天堂信者の方はもう買っていると思うので、それ以外の方で興味があれば読むとよいと思う。

本書の中で「マーケティングは過去云々」とあるが、マーケティングを「顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその商品を効果的に得られるようにする活動」と捉えれば岩田社長の考えはマーケティング的だ。

特にインターネット上にない岩田社長の顧客のターゲティングの手法が時系列と共にあり分かりやすい。宮本氏とのコンビネーションもよく分かる。

結論的に、自分としては任天堂もSONYも戦略は間違っていない。自社の特徴・文化・哲学を継承してものづくりを行い、そのような結果が出た。任天堂が一枚上手だったのは、本来的に届ける人のために、スペック主義を止めたことだ。それぞれのユーザーは「スペックを遊びたいのか」「ゲームを遊びたいのか」の結論に基づいてハードを選んだかの結果だ。

自分はスペックを遊びたい派なので、そのハードが好きだということに気がついた。それが悪いとも思わないし、人それぞれだと思う。スペックを遊ぶということは、そのハードの本当の意味が分かる人しか遊べないという意味で人を選ぶ。だが、それがいい。

ハイスペックなゲーム戦争に振り落とされたユーザーを拾う任天堂の考えは、全ての人にゲームを遊んで欲しいという心の現われとして、分かりやすい。そうした心に惹かれて、多くの人は任天堂を選んだのだと思う。

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