なぜDSでリメイクが作られるのか

PSPな友人がDSでリメイクが出ることに対して文句を言っている。いまさらゲームなんてどうでもいいだろう、と思いつつ、DSでリメイクが多く発売される理由について考えると、意外とリメイクは面白い。

PSPはPSの資産を簡単に流用することができる。その例がPS1のソフトをPSPでエミュレートしてプレイできることだ。よってPS1のソフトがPSPにてダウンロード販売されていたりする。これだけ簡単に流用できるのにもかかわらず、DSの方がリメイクが多い気がする。

(実はDSの方がリメイクが多い気になっているだけかもしれない。数を数えてことはないので…)

考えた結果、3つの点が浮かんだ。

  • ユーザー数が多い。
  • ゲームを始めました。という人が多い。
  • リメイク元作品をやっていない人が多い。

普通に考えると、携帯できるハード、かつユーザー数が多いハードでリメイクを出すことが有効だ。ユーザー数が多ければ、買ってくれる確率が大きい。

また、DSのユーザーが増えた理由は、今までゲームに触れてこなかった層にアピールできたことが大きいが、これらの層は過去の名作をプレイしたことがない人が多そうだ。よって、リメイクして今の人がやりやすい環境を整えれば、買ってくれるのではないか、という計算が働く。

リメイクを出す理由、リメイクが売れる理由については、自分がリメイクを買ったことがないのでわからない。リメイク元を買った人がリメイクを買うのかどうかが重要な情報なのだが、そこがよくわからない。もし過去にやったことがないから、やりたいという要求があれば、”名作をプレイ”したい購買層は存在するかもしれない。

そういった要素を加味して考えれば、DSユーザーに対して過去の作品を提供するにはリメイクするしかない、という状況なのでリメイクしたと考えることが正しそうだ。このリメイク元はスーパーファミコンのソフトが多く、そのままできるものではない。それに大してPSPにおける再販ではPS1の時代のものなので、リメイクせずとも通用するものであることが多い。だからPSPではリメイクせずにそのまま提供することが多いのだろう。

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料理研究家とレシピと著作権について

ふと考えてみると、企業はノウハウを必死に隠し、隠せないものは特許や著作権として権利を守ろうとする。これらの権利があるのは、それらを権利として守ることが産業の発展に寄与すると考えられるからだ。

例えば、料理研究家なるものがレシピ本を出しているが、これは著作権の観点からどうだろうか?

本などに載る情報については、ほとんどが著作権で守られる。守られるが、守られるのは表現そのものであり、レシピそのものではないと考えられる。著作権で守られるのは「思想又は感情を創作的に表現したもの」だからだ。

参考:お菓子のレシピ本の著作権?

よって、レシピそのものを公開するということは、自分だけが知っていたノウハウを全体に公開してしまうことになる。そして、それは何の権利にも守られない。その恩恵を受けている例がクックパッドというレシピを共有するサービスだ。レシピそのものには著作権は適用されないのだから、”どこからレシピを引いてきても”問題はない。

そう考えれば、料理研究家は自著にレシピを載せるということは、すごいことなのだと思う。ある種の同業者にモロぱくりされることを前提でレシピを載せる。

それは料理研究家は日々の研鑽によって、常に新しいレシピを生み出す自信があるからこそ、レシピを公開できるのだろう。その人からレシピをとっても何も残らない存在ではない、という点がすばらしい。

もし、レシピを公開したくないのであれば、レシピは秘伝のタレとかいう扱いになり、職業は料理人になるだろう。料理人もすばらしい職業だけれども、料理研究家も大変だが社会にレシピを生み出して放流するすばらしい職業だと思う。

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Vistaのユーザープロファイルが壊れた\(^o^)/

メインPCとしてつかっているノートPCの、Vistaのユーザープロファイルが壊れたかもしれないので、Vmwareとリモートデスクトップで生きていこうか、という話。

最近、リモートデスクトップをよく使っていたのだが、Vista PCにリモートデスクトップ接続して、その後別のPCからリモートデスクトップ接続をしようとしたら、なぜか接続できない。そのVistaのPCを起動してみたらaeroが起動しない。むしろユーザープロファイルを読み込んでいる気配すらしない。エラーメッセージはtaskeng.exeが起動できないとのことだが、次の起動からは何も言わなくなった。

当初はHDDの破損かと考えたが、ディスクスキャンを行っても特に問題が見つからなかった。ならばとウィルススキャンを行ってみたが特に問題は見つからなかった。HDDの破損でなくてよかった。

とどめを刺した行為がリモートデスクトップだったので、リモートデスクトップがユーザープロファイルを破損することがあるのかどうか調べたが、Symantec AntiVirusが入っている場合だった。かつて、このPCにはSymantec AntiVirusが入っていたが、今は削除している。例として示されているエラーメッセージと同一ではないが、かなり怪しい。

ログオフ後、リモート デスクトップ セッションから Symantec AntiVirus 10.1 がインストールされている Windows Server 2003 ターミナル サーバーにユーザー プロファイルが壊れています

そんなこともあり、いろいろと今後のPCの利用をどうするか、考えている。

最近はサーバの中にVmware server 2.0を入れ、その中で使っていたりする。途中、メモリが足りないと感じたので、2GBあたりを買って入れたら、びっくりするほど早くなった。正直、Vmwareの中にリモートデスクトップできる端末さえあればどうにかなるかな、と思い始めている。

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ブロードバンド環境について愚痴ってみる

あまり、愚痴ることは、ないのだが。

ひかりoneという、かつてテプコ光が行っていた光ケーブルのブロードバンドサービスが存在する。ひかりoneはフレッツ光より安く、どうせ入るなら当然ひかりoneだと思っていた。テプコがはじめた頃から。

しかし、ひかりoneは東京圏から徐々に広がってきているのだが、自宅はまだ、範囲内ではなかった。フレッツ光は高いので、待つことにした。

その後、自宅まで200mだという所で、敷設が終わった。後もう少しだ、そろそろ来るだろう。

と、期待し待ち続けて、3,4年来てない。今も来てない。

本当なら、電話でもしてちょいと敷設できないかどうか掛け合うべきなのだろうが、ひかりone独特のお試しキャンペーンで見極めたいという思いもあり、進められない。

時期を逃してしまったので、いまさらフレッツ光なんて気分じゃない。

そこで、最近話題のUQ WiMaxですよ!っと。なんたって、最大速度は下り40Mビット/秒じゃないか。

今、自宅の速度は3Mbpsなので、最低でも10Mbps出てくれれば、3倍はやい!こりゃ自宅でも戦略になるぞ、と。

で、エリアを見た。

またしても、自宅近く200mで拡大予定なし状態。しかも、ひかりoneと逆側の方向で。

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自宅をエリアに入れてくれているイーモバイルとフレッツ光に感謝したくなった。そんなに過疎ってるかな、ここ。

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モデルチェンジというビジネスモデルについて考える

GMという言葉が話題にのぼることが多い。GMの作り出した有名な特徴として、「モデルチェンジ」が報道されている。以降、ほとんどの一般向け乗用車でモデルチェンジという手法が行われている。

よくよく考えてみれば、このようなモデルチェンジという考えは車に限ったものではない。例えば「夏モデル」などという言葉が存在するというな製品はモデルチェンジの手法を用いている。パソコン業界、携帯電話業界などだ。パソコン業界では”型落ち”という言葉があるが、モデルチェンジによるものだろう。

モデルチェンジとは何か。意図的に、定期的に、流行おくれを作り出すことだ。その流行おくれを作る手法は主に製品の性能を向上させたり、設計を見直して新機能をつけたりになる。このようなモデルチェンジの形を見ていると、ファッション業界が思いつく。

ファッション業界では、意図的に流行を作り出すことに長けている。どうもあの流行は自然発生的なものではないらしい。ファッションでは”流行おくれ”という言葉が存在し、確かに古臭いものがある。しかしながら流行は一巡して、昔のファッションがむしろ新しいという話にもなる。ファッションの世界では、性能や新機能などなく、グラフィカルなデザインの世界で一巡させているので、それはなかなか困難なものだと思うがよくやっている。

ファッションの世界では4季によって買い替え需要が発生するようになっているが、これがモデルチェンジが4季で行われることにつながっているのではなかろうか。そんなファッション業界をみならってか、パソコンや携帯電話などの他の製品のモデルチェンジであっても、性能・機能以外にも外装デザイン変更が行われることが多い。デザインの点でも陳腐化を狙うことがモデルチェンジのコツなのだろう。

しかしながら、デザインのモデルチェンジをあえて控えめにしている製品も存在する。たとえばパナソニックのレッツノートがその1つだ。レッツノートはビジネスユースを中心に考えた設計を行っており、当然のことだがモデルチェンジも行っている。しかしビジネスの現場でモデルチェンジされた製品が配布された場合、上司よりも部下の方が高性能な製品を利用していることが多々あるとされている。上司にもよるが、それは不快感を生む場合がある。そこで、デザインを同一系統のものにすることとした。そうすることで、モデルチェンジ前後のデザインの差をなくし、一見して製品が異なることが分からないようになる。つまりあえて陳腐化させていない。このようにモデルチェンジの際には、ユースによっては前回のモデルを陳腐化させない工夫もあり、何をモデルチェンジの本質とするのか迷う。

話を戻すと、モデルチェンジのサイクルを作り出すことに成功すると、定期的に陳腐化を行うことができるので収入が定期的に入る。また古くなった製品を無価値化させることによって、常に付加価値の大きい製品を売ることができる。逆に顧客側の視点としては、時代の最新であるというプレミアム価格、付加価値に価値を感じないのであれば、モデルチェンジ前の型落ちモデルを購入対象とするべきだ。

これに関連深いビジネスモデルとしてアップグレードサービスというものがある。このアップグレードは、ソフトウェアに特徴的なもので、ソフトウェア製品の進化に対して対価を支払うという形式のものだ。このソフトウェアの改善も定期的に行われれば、モデルチェンジという言葉を使ってもよいのかもしれない。

これらの背景を元に、夏モデルという言葉を聞いたときに、その製品のモデルチェンジについて考えるようにしている。

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自信というものについて書く

書かないと忘れられないので書く。

自信というプライドという意地という何かがある。こいつも商売繁盛で、「自己啓発」本や「自己啓発」セミナーなどがひしめいている。心理学的には自己催眠とか、そーゆー話なのかもしれない。

自信喪失も自信過剰っていい。

自信というのは自分の能力の期待値というもので、「絶対できる」「変わるわよ」とか阿呆のように信じていることだ。基本、自信は過去の成功体験から生まれてくるもので、目標のハードルを1つずつクリアしていくことで積もっていく。

過去の成功体験なしに「絶対出来る」とか言っちゃっている人はイッちゃっている。ある意味、阿呆だ。しかしながら、過去の成功体験がまったくない状態ではじめる場合はそう思わなければ物事は始められないし、最近が失敗体験ばかりの組織であれば過去の成功体験を捨てるための良いチャンスかもしれない。

自信が過剰になってくると、驕りという感覚が出てくる場合もある。もう自分最高やわ、めっさ正しいみたいな。

迷いの多い人は、この自信過剰と自信欠乏の回転を幾度と味わう。いわゆるブレない人は自信過剰型。風見鶏な人は自信欠乏方。たまには何も考えていない人もいるかもしれない。

何かをやる際に、自信のバランスとして、始めは自信過剰で出来ると信じること、調子に乗り始めたらとりあえず自身欠乏してみるのがいいと思う。上手くいかないケースは、”始めは自信欠乏で何もしない”こと、”調子に乗ったら自信過剰で現状維持する”ことのような気がする。

意識して自信をコントロールしたことがないし、成功したこともないから分からんけど。

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何で最近、人のことばかり考えているんだろーなー。

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表現力と理解力を測定するための課題

少年マガジンの裏側の方の漫画にJAXAに見学しにいったという話があったのだが、その中の1つのトレーニングが興味深かった。

課題は遠隔のコミュニケーション。2人組みで課題を行う。2人は別室に入れさせられ、声だけでコミュニケーションが行える。片方の1人に図形が渡される。その図形を声でもう片方の人に伝えて、正確な図形を描くことを目標とする。図形は線の色が違ったり、大きさが違ったり、形は四角・三角・星型などのバリエーションが存在する。

宇宙の船外活動では声だけの指示で作業をしなければならないのだから、声のコミュニケーションが大事なのだろう。この課題をクリアするために必要な能力を考えていく。

図形の描かれた紙を受け取った人は、その図形の形を幾何学的に理解し、音声情報(文字情報)に変換する力が必要となる。音声情報に変換しながら、相手の理解できる言葉を想像しながら、相手の常識に翻訳する作業が必要になる。また、どのような順番で物事を伝えたら、伝えやすいのか・描きやすいのかも考える。

音声から図形を描かなければならない人は、その音声の意図することを相手の常識から理解しなければならない。図形を書きながら、常にどのような描けばいいのか懐疑的になりつつ、疑問に思ったことを相手に問いただす必要がある。そして自分が描いているものが正しいかどうか、検証的な質問も行う必要があるだろう。

そういうことを考えていくと、この課題は、伝えることとは何かという深いところまで考えさせられる。業務であれば、指示者と作業者の間の伝達能力に関連してくるし、教育であれば教えたいとしていることをどのように話せば伝わるのかということに関連してくる。

また関連した話で、「この立体図形を他の人が作成できるように手順の文章を書け」という課題を試験に出したという話もあった。昔、文章管理について調べていた際に、製品マニュアル(例えばテクニカルライティング)の執筆にもそのような能力が必要だったな、と思い出した。この手の仕事をする方々は、表現力と読解力が素晴らしいのだろう。素晴らしいマニュアルにはそう出会ったことはないけれど。

単純な言葉では「表現力」と「理解力」だ。この手の能力が欠乏している自分としては、電話コミュニケーションが非常に辛い。それが言いたかった。ただし、メールなら大丈夫かもなので、リアルタイムに言葉を解釈することが苦手なのかもしれない。トレーニングしなくては。慣れと言ってしまえば、それまでだけれども。慣れとか言わないで。

そもそも、「表現力」と「理解力」の高さというものは、8割の人は両立しないのではないか?、とも思い始めている。「理解力」の高い人が「理解力」の低い人のために「表現力」を伸ばすことがあるのだろーかという疑問からだ。「理解力」の低い人(というよりも文化の違う人という表現が正しいのかもしれない)は異次元っぽいので。ただ、この「理解力」の低い人が「表現」した場合は、同等の理解を基準にしているので伝わるのではないかな、とか。そう考えると、ヒット商品って「理解力」の低い人から生まれてくるんじゃねーの?とかツジツマが合わなくなってきたので、そこで考えることを止めた。

「笑い」の質の話もそうだけど、マスに合わせると質が落ちるとかいうアレとか。テレビ見て買うのはアレげな層だから、それに合わせて番組作ると質がアレになるとか。結構いい番組作ってたりするのに見て欲しいめっさ高所得者層が時間が合わないとかで見てくれてないとか。

人に与えられる総量は一緒論(平等論については天才とセンスとジェネラリストと才能の使い道)から、そういう能力の反比例はありげだなぁーとか、くだらないことを考えている。

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