PSPのxdsファイルを用いたダウンロードの際の挙動の一観察

PSPにはWebブラウザが存在している。このブラウザはNetFrontベースで意外としっかりしているが、やはり、PCブラウザには敵わない。

そんなWebブラウザであるが、一応、インターネットから大きなファイルをダウンロードすることができる。そのダウンロードの形式の1つとして非公式ではあるが、xdsファイルを用いるものがある。このxdsファイルを用いることで、複数ファイルのダウンロードに対応することができる。複数ファイルといっても、動画or音楽ファイル+サムネイルを一緒のフォルダに入れるということ程度しかできない。

xdsではmp3などのメディアのファイルとjpgを指定することができる。このxdsファイルによるダウンロードが行うことができたかどうか、Webサーバプログラムであるapacheのログを確認してみたところ、xdsファイルアクセス後にmp3ファイルに3,4回のアクセスを行っていることが確認できた。間は1秒程度だ。

このmp3ファイルへの複数のアクセスは、複数コネクションを張っているのではないか?と仮説を立ててみた。PSPは無線LAN接続のみしかインターネットにアクセスすることができない。そのためTCPコネクションを複数張ることで無線LANの帯域変化を吸収しているのではないかと考えたからだ。

仮説を検証するべく、自宅内でネットワークを構築し、Webサーバ上でキャプチャを行い、観察を行った。tcpdump(正確にはtshark)によるキャプチャを行い、キャプチャ結果から簡易な解析を行った。結果として、複数コネクションを張っているという仮定は正しくはなかった。

キャプチャの結果、xdsファイルへのアクセスが1回、mp3ファイルへのアクセスが4回、が確認された。

xdsファイルにアクセス後の初回のmp3へのHTTPアクセスはサーバからの応答HTTPヘッダを参照後、直ちにTCPによるRSTフラグを送信していることが分かった。つまりmp3の実体をダウンロードすることなくPSPから切断を行っている。このアクセスは実際にダウンロードを行っていないことから、実際に指定したmp3ファイルが存在しているかどうかを確認していると考えられる。

後の2回のmp3へのアクセスは同様にTCPのRSTフラグを送信することによってコネクションを切断しており、実体は4回目のアクセス時にダウンロードを行っていることが分かった。複数回の確認を行う理由を知るため、セグメントを確認してみたところ、HTTPヘッダに違いがあることが分かった。

1回目のアクセスの要求時のHTTPヘッダ

Connection: Keep-Alive

2回目のアクセスの要求時のHTTPヘッダ

Pragma: no-cache
Cache-Control: no-cache
Connection: close

3回目のアクセスの要求時のHTTPヘッダ

Connection: Keep-Alive

この挙動について調べてみたところ、確信はないが、2回目のHTTPヘッダはProxyサーバに対する制御を行っていると考えられる。

Cache-Controlにおけるno-cacheはHTTP 1.1においてブラウザやProxyがキャッシュを行ってはならないことを示す。PragmaはHTTP 1.0への互換性のために指定している。この設定を行うことによって、(実際にそのような挙動を行うのかどうか確認はおこなっていないが)Proxyのキャッシュを削除しているのではないかと思う。またConnectionのcloseはKeep-Aliveを終了する旨であり、Proxyがサーバに対する永続的接続を一旦終了するように促している。

その後、キャッシュクリアされたProxyにおいて、オリジナルのサーバのファイルにアクセスしようとしているのではないか、と考えられる。

以上の結果をもって、当初の仮定であるTCP複数コネクションによるダウンロード説は棄却とする。

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セブンイレブンのみきり販売と再販制度について

セブンイレブン幹部が、賞味期限の近い弁当を安売りしないように圧力をかけていたとし、公正取引委員会の介入があった。フランチャイズと店主の契約上は、みきり販売を認めるものであったが、幹部が圧力をかけていたという。

セブンイレブンというシステムでは、発注について、かなり気を使っている。多すぎず、少なすぎずもせず。そうした作業をアルバイトに裁量を与え担当したりする。なぜ、セブンでバイトをすると3カ月で経営学を語れるのか?―鈴木敏文の「不況に勝つ仕事術」40が詳しい(はず)。そうした発注のミスで廃棄が大量に出るとすれば、見切り販売できないのだから、リスクは大きい。

みきり販売をしない理由はなんとなく程度しか分からないが、値引きをされなければ絶対買わない層はあると思う。みきり販売を認めることで、個別の店は最終的には”売り上げを落とす”結果に終わると想像している。店主自らが自主的な判断で、足並みをそろえて定価販売をすることが、実は自らの利益をもっとも高める方法になる。カルテルになってしまうかもしれないが。

このように定価を強要して値下げ販売できないように圧力をかけることを、再販と呼ぶ。

そもそも再販制度は、独占禁止法という概念があってはじめて存在する。日本では、書籍、新聞、雑誌、音楽に関して再販が認められている。特に音楽に関して日本が行っているのは珍しいケースである。Wikipediaの再販制度の記事によると、米国・英国ではこれらの再販制度は認められていない。

また日本では著作物に対しても再販を認めており、セガがゲームソフトの再販の圧力の理由に著作物であるとしたことがあるが、審判では違反であるとされたらしい。中古ソフトウェアの流通も考えると、新品の流通で多くの利益を得ることが大事であり、再販をしたい気持ちも分かる。

市場原理を考えれば、今後、再販制度は廃止するべき方向のものかもしれない。

ただ、今回のセブンイレブンの件で、みきり販売することによって不利益になるのは誰なのか、分かっていない点が気になった。自分の首を絞めているだけのように見えるのは、気のせいだろうか。…消費者にとってはいいことだが、店がつぶれてしまっては元も子もない。

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ファイルの移動中

500GBで組んだRAIDのリプレースを1TBでするべく、色々考えた。

今の構成はS-ATAが4インターフェースで、OS起動用のドライブが1つ、RAID5のためのドライブが3つという状況。

このRAID5を交換するためにどうしようか考えた。

A案は、RAID5を一時的に壊して2ドライブ構成にし、あまったS-ATAに1TBのHDDを取り付けて退避。
B案は、USB外付けHDDを買って、そこに退避。

考えた結果、1TBの内蔵HDDと1TBのUSB外付けを買って、今作業している。WD10EADS-M2Bを3台、HDC-UE1.0を1台。

そしてUSBの遅さに悲しみを覚えた。どのくらい遅いかというと、一晩かかるくらい遅い。そして負荷をかけるとカーネルパニック。こっちもパニック。rsyncで良かった。

そして今、C案を思いついた。USBメモリにOS入れてRAIDを使えるようにして、今までOS用にしていたドライブのインターフェースに1TBのHDDをつないで退避すれば、4つのS-ATA構成でもRAID5構成を壊さずに、しかもSATA同士で高速で退避できる。

思いつかなかったことに後悔しつつ、そのまま作業を続行。

HDC-UE1.0の中に入っているHDDは、前評判どおりWD10EADSっぽいので、バックアップ完了後はOS起動ドライブとして利用しよう。USB外付けHDDの側はあまった500MBのHDDでも入れて、放置しておこう。

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首相がダメだから、日本がダメになのか?

首相がダメだから、日本がダメになる。

社長がダメだから、会社がダメになる。

上司がダメだから、成長がダメになる。

同僚がダメだから、チームがダメになる。

部下がダメだから、仕事がダメになる。

市場がダメだから、売り上げがダメになる。

顧客がダメだから、サービスもダメ。

業界がダメだから、もう色々とダメ。

教育がダメだから、未来もダメ。

もうダメばっかり!

「現場を分かっていない」と社長を批判する前にという記事が面白かったので、言葉遊びをしてみた。上記のダメに1つくらい心当たりがあっていいはず。

この手のコミュニケーションに存在しうるのは考えてみたところ、以下の通り?

?社長が懇切丁寧にコミュニケーション能力をフル発揮して全社員と2社面談して意思統一を図るのを待つのが社員のお仕事

?社長が何も言わないので社員一同で襲撃して何がやりたいんだ全て吐けコラで意思統一を図る

?意思統一なんて飾り。「我々の間にはチームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。あるとすれば、スタンドプレーから生じるチームワークだけだ。」

どれも冗談みたいだが、実は?は任天堂の岩田社長が半年に一度やっている。?、?はもはや暴徒と化しているとしか思えない。(補足:岩田社長のインタビュー社長に学べ!の「2.人のせいにしないと決めた。」あたりからコミュニケーションの話。)

課題として、”意思統一は必要ですか?”、”もし意思統一が必要なら、どのような手法が正しいですか?”というものがあるのだと思う。意思統一がすごい組織に属したことがないので手法については分からないが、日本という組織ではエコというメッセージが伝わってくる。

そろそろ「非エコ」という言葉でも流行るんじゃなかろうか。

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「うまい、はやい、やすい」について

「うまい、はやい、やすい」が大事だ、と言うと、

それって牛丼の話だよね?キン肉マンで流行った?

と、言われ、おお、その通りだなぁ、と思った。

「うまい、はやい、やすい」は飲食店でよく使われるという認識だった。

日ごろから、この言葉には色々な意味が含まれていると感じていた。その飲食店における評価は「うまさ」「はやさ」「やすさ」で決まるということであること。つまり飲食店において「うまさ」以外の評価指標があること。評価をするために測定をしなければならないこと。指標に「サービス・接客」は入れていないこと。その評価には優先順位があること。

検索でこの言葉について調べたところ、やはり牛丼、吉野家の言葉だった。

参考:「うまい、はやい、やすい」を支える健全で強い吉野家文化

やはり、「うまい、はやい、やすい」という順だった。あるブログには、当初は築地店だったので「はやい、うまい」だった、とも書いてある。

なるほどなー、と思わされる。当初は築地で働く人のために「はやい」食事が望まれていたと考えられる。「はやい」のためなら「たかい」でもかまわない人が多かったと予想できる。築地なら「うまい」は当然なので、「はやい、うまい」だった、と。

しかし時代の変化とともに、他店舗化、他の地域への出店が行われた。「うまい」がないがしろにされ、「はやい」のみが重要視される効率化を追求した結果、「はやい、まずい」になってしまった。他の地域ではいかに「はやい」でも「まずい」は受け入れられない。そこで優先順位を再確認することが必要で「うまい、はやい、やすい」となった。「うまい」飯でなければ、客は来ないのだ。

この言葉を元に、さまざまなものに適用できないか考える。「うまい」を”目的を上手く満足することができるか?”という指標とすれば、

  1. 目的を上手く満足することができるか?
  2. それをすばやく達成することができるか?
  3. それを安価で実現することができるか?

という見直しのための判断基準となる。ものごとを考える場合、この3つを考えるだけでも満足度を高めることができるかもしれない。

コンセプトや標語というものは、短歌や俳句などのように字数圧縮をすることによって、覚えやすくなる。ホウレンソウもその1つだ。短歌や俳句、標語は少ない文字列の中に、どれだけ意味を含めることができるかにある。また短歌や俳句に対して標語が異なる点は、全ての人が同じ解釈をできなければならないということだ。評価対象・優先順位がわかりやすい点で「うまい、はやい、やすい」は優れている。

注意が必要なのは「うまい、はやい、やすい」を全てに適用することはできない、ということだ。例を挙げれば吉野家は多くの人を魅了しているが、全ての人を魅了しているわけではない。人によっては、「サービス・接客」や「近さ」、「内装・雰囲気」を重要視する。「うまい、はやい、やすい」は6〜8割の人を魅了するために最適の策であり、また薄利多売の要素を持つ。高付加価値や高級ブランド化戦略とは異なる位置にある。

また、諸段階のサービス時点では、吉野家のように「はやい、うまい」の方が目的に合うかもしれない。

このような評価対象と優先順位を連ねただけのコンセプトでも、意外な効果はあるかもしれない。その場合は、規模と対象を考え、どの評価指標をどの優先順位で入れるのか、検討することが重要

…かもしれない。

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成長における理論と実践はスパイラルである

理論と実践について考えていくと、これら2つのものは相互関係して人に根付いていくものだと感じられた。

どうも、自分の中で”理論と実践どっちが大事だ?”という議論が渦巻いており、釈然としなかった時期がある。この結論としては、”にわとりと卵”の関係であり、相互に関係して”揺れる”ことで根付いていくものだというものを得た。

つまり、考えること・行動することは交互に行われることによって得られるものだ、ということだ。考え続けること、行動し続けることで成長が得られるのかどうか疑問だ。

かつて日本代表オシム氏の言葉で皆が印象に残っているものは「考えて走れ」というものだと思う。この言葉そのものが”理論と実践”だと感じる。オシム氏の感覚では、”考えているばかりで走っていない”、”馬鹿みたいに走らないで、よく考えて、走るべきときに走れ”というものがあった。つまり、理論と実践でアクションを起こせということだ。

PDCAサイクルも、考えるとき、行動するときを明確に定めている。つまり、考えながら行動することが重要だという結論から、そのような形が作られたのだろう。

ただし、物事を始めるときであれば、自身のモチベーションが上がる入り口、理論か実践かのどちらかから入る方が良いと思う。物事を始めるときは多くの力が必要で、得意であるもの・やりたいと思うもののサイクルから入ったほうが楽だ。

そして、理論から入ったのであれば、ある程度時間がたったら実践を、実践から入ったのであれば理論に入ってみると良い。このサイクルを形作ることが、成長の原則にあるのではなかろうか。

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これで腹に溜まっていたものは掃けたかな。

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その時代の最新技術でできることを検討するということ

技術方面から、「どうだ、すごいだろう」というものを作っても、期待する層から「それ、何の役に立つの?」というケースは多くある。そのようなケースを未然に防ぐために調査をしっかりなければならない。つまり、技術のレベルがいくら高くても、利用のケースをしっかりと検討しなければ、心を動かすことができない。

そう考えていくと、どうも技術を軽視する方向に思考のラインが寄っていってしまう。が、それは正しいのかどうか疑問だ。利用者層が不便を感じないように、もっとも高い効果を得られるように、を考えていくと高い技術レベルが必要になる。つまり悪いのは利用者・顧客を無視して技術を適用することだ。

しかしながら、その時代の最新の技術で何ができるのかのバリエーションを試すことは、顧客の望むものが何かを考える前に必要なことだと思う。顧客の想像しない新しいものとは、最新の技術のバリエーションから生まれてくることもあるからだ。そのバリエーションを精査し、何がもっとも顧客が喜ぶのかを検討する段階が必要だ。

バリエーションを確かめている段階、それがWindows Vistaだった。7ではより何が効果を生むのか精査されたものが出るという予感はあるし、期待している。マイクロソフトは第一弾は不得意だが、第二、第三は得意だからだ。

音楽の世界でも、最新の技術で何ができるのか考える必要がある。

参考:テクノロジーと音楽〜ユリイカの坂本龍一総特集(前編)

音楽の世界では、ラジオ、レコードプレイヤー、テープレコーダー、テレビ、CD、ダウンロードと進化を行ってきた。

CDというテクノロジーは音楽のために作られた。CDの容量については「第九」がように、である。

開発の過程で、カセットテープの対角線と同じでDINに適合する11.5センチ(約60分)を主張するフィリップスに対し、当時ソニー副社長で声楽家出身の大賀典雄が「オペラ一幕分、あるいはベートーベンの第九が収まる収録時間」(12cm、75分)を主張して、調査した結果クラシック音楽の95%が75分あれば1枚に収められることから、それを押し通した[1]。

by Wikipedia コンパクトディスク

という話があったり、

開発当時、指揮者カラヤンが「ベートーベンの交響曲第九番を収録できるように」と提言した。実際には彼の演奏時間は六十数分である。もちろん指揮者によって演奏時間は変わるが、1951年にライブ録音されたまたはその他のオーケストラとのフルトヴェングラー指揮の交響曲第九番は歴史に残る名演奏とされ、演奏時間も長い(およそ74分)ことや、同時代のウィーン・フィルとべームやバーンスタインの演奏がそれに匹敵する長さであることから、これらの演奏がコンパクトディスクの規格になったといわれる。

by Wikipedia コンパクトディスク

という話があることはあまりにも有名だ。

このCDの長さが、現代ROCKやPOPSなどのアルバムとしての作品の長さを決めた。つまり、それだけの時間を満たすことがアルバム作品であるという観念になってきたということだ。これは音楽の作品の長さをCDというテクノロジーが決めたということになる。シングルCDの8cmのものは22分であり、シングル作品が1曲+αという形を作ったのもテクノロジーだ。

上記の参考資料でも述べられているが、インターネットという環境を得て、音楽は変わろうとしている。例えば「着うた」というものも、その1つだ。音楽作品を電話着信として利用するというアイディアで、多くの音楽が流通してきた。「着うた」を設定することで、自分の趣向やセンスをアピールすることができるし、似た趣向の人を自分から特にアピールしなくても見つけることができる。よって「着うた」も1つもコミュニケーションツールとして考えられる。

ブロードバンドが定額の時代、音楽の長さを決定付けるものは何もない。1日中、一年中、もしくは永遠に流れる音楽が存在してもいい。長さという枠を打ち破ることができる時代が来た。それが”今の時代の最新技術でできること”でもある。

また、DSPなどの演算技術の高まりによって、リアルタイムミキシング、リアルタイムマスタリングを再生機で出来てしまうのではないか、と考えている。通常、音楽は芸術家の思う姿で配信が行われるが、現在では素材とデフォルトのマスタリング処理を配信し、利用者側で楽器を好きに配置して聴くことが可能になってくるのではないかと思う。シンセサイザーの曲であれば、音色そのものを変えることも可能だ。それも”今の時代の最新技術でできること”である。

これらの例のように”今の時代の最新技術でできること”の1つのアイディアが多くの人々を満足にするとは思えない。しかし、人の満足のためには”最新技術でできること”が必要な場合があるのだから、技術を信じるのであれば検討するべきだ。

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