技術方面から、「どうだ、すごいだろう」というものを作っても、期待する層から「それ、何の役に立つの?」というケースは多くある。そのようなケースを未然に防ぐために調査をしっかりなければならない。つまり、技術のレベルがいくら高くても、利用のケースをしっかりと検討しなければ、心を動かすことができない。
そう考えていくと、どうも技術を軽視する方向に思考のラインが寄っていってしまう。が、それは正しいのかどうか疑問だ。利用者層が不便を感じないように、もっとも高い効果を得られるように、を考えていくと高い技術レベルが必要になる。つまり悪いのは利用者・顧客を無視して技術を適用することだ。
しかしながら、その時代の最新の技術で何ができるのかのバリエーションを試すことは、顧客の望むものが何かを考える前に必要なことだと思う。顧客の想像しない新しいものとは、最新の技術のバリエーションから生まれてくることもあるからだ。そのバリエーションを精査し、何がもっとも顧客が喜ぶのかを検討する段階が必要だ。
バリエーションを確かめている段階、それがWindows Vistaだった。7ではより何が効果を生むのか精査されたものが出るという予感はあるし、期待している。マイクロソフトは第一弾は不得意だが、第二、第三は得意だからだ。
音楽の世界でも、最新の技術で何ができるのか考える必要がある。
音楽の世界では、ラジオ、レコードプレイヤー、テープレコーダー、テレビ、CD、ダウンロードと進化を行ってきた。
CDというテクノロジーは音楽のために作られた。CDの容量については「第九」がように、である。
開発の過程で、カセットテープの対角線と同じでDINに適合する11.5センチ(約60分)を主張するフィリップスに対し、当時ソニー副社長で声楽家出身の大賀典雄が「オペラ一幕分、あるいはベートーベンの第九が収まる収録時間」(12cm、75分)を主張して、調査した結果クラシック音楽の95%が75分あれば1枚に収められることから、それを押し通した[1]。
by Wikipedia コンパクトディスク
という話があったり、
開発当時、指揮者カラヤンが「ベートーベンの交響曲第九番を収録できるように」と提言した。実際には彼の演奏時間は六十数分である。もちろん指揮者によって演奏時間は変わるが、1951年にライブ録音されたまたはその他のオーケストラとのフルトヴェングラー指揮の交響曲第九番は歴史に残る名演奏とされ、演奏時間も長い(およそ74分)ことや、同時代のウィーン・フィルとべームやバーンスタインの演奏がそれに匹敵する長さであることから、これらの演奏がコンパクトディスクの規格になったといわれる。
by Wikipedia コンパクトディスク
という話があることはあまりにも有名だ。
このCDの長さが、現代ROCKやPOPSなどのアルバムとしての作品の長さを決めた。つまり、それだけの時間を満たすことがアルバム作品であるという観念になってきたということだ。これは音楽の作品の長さをCDというテクノロジーが決めたということになる。シングルCDの8cmのものは22分であり、シングル作品が1曲+αという形を作ったのもテクノロジーだ。
上記の参考資料でも述べられているが、インターネットという環境を得て、音楽は変わろうとしている。例えば「着うた」というものも、その1つだ。音楽作品を電話着信として利用するというアイディアで、多くの音楽が流通してきた。「着うた」を設定することで、自分の趣向やセンスをアピールすることができるし、似た趣向の人を自分から特にアピールしなくても見つけることができる。よって「着うた」も1つもコミュニケーションツールとして考えられる。
ブロードバンドが定額の時代、音楽の長さを決定付けるものは何もない。1日中、一年中、もしくは永遠に流れる音楽が存在してもいい。長さという枠を打ち破ることができる時代が来た。それが”今の時代の最新技術でできること”でもある。
また、DSPなどの演算技術の高まりによって、リアルタイムミキシング、リアルタイムマスタリングを再生機で出来てしまうのではないか、と考えている。通常、音楽は芸術家の思う姿で配信が行われるが、現在では素材とデフォルトのマスタリング処理を配信し、利用者側で楽器を好きに配置して聴くことが可能になってくるのではないかと思う。シンセサイザーの曲であれば、音色そのものを変えることも可能だ。それも”今の時代の最新技術でできること”である。
これらの例のように”今の時代の最新技術でできること”の1つのアイディアが多くの人々を満足にするとは思えない。しかし、人の満足のためには”最新技術でできること”が必要な場合があるのだから、技術を信じるのであれば検討するべきだ。