表現力と理解力を測定するための課題

少年マガジンの裏側の方の漫画にJAXAに見学しにいったという話があったのだが、その中の1つのトレーニングが興味深かった。

課題は遠隔のコミュニケーション。2人組みで課題を行う。2人は別室に入れさせられ、声だけでコミュニケーションが行える。片方の1人に図形が渡される。その図形を声でもう片方の人に伝えて、正確な図形を描くことを目標とする。図形は線の色が違ったり、大きさが違ったり、形は四角・三角・星型などのバリエーションが存在する。

宇宙の船外活動では声だけの指示で作業をしなければならないのだから、声のコミュニケーションが大事なのだろう。この課題をクリアするために必要な能力を考えていく。

図形の描かれた紙を受け取った人は、その図形の形を幾何学的に理解し、音声情報(文字情報)に変換する力が必要となる。音声情報に変換しながら、相手の理解できる言葉を想像しながら、相手の常識に翻訳する作業が必要になる。また、どのような順番で物事を伝えたら、伝えやすいのか・描きやすいのかも考える。

音声から図形を描かなければならない人は、その音声の意図することを相手の常識から理解しなければならない。図形を書きながら、常にどのような描けばいいのか懐疑的になりつつ、疑問に思ったことを相手に問いただす必要がある。そして自分が描いているものが正しいかどうか、検証的な質問も行う必要があるだろう。

そういうことを考えていくと、この課題は、伝えることとは何かという深いところまで考えさせられる。業務であれば、指示者と作業者の間の伝達能力に関連してくるし、教育であれば教えたいとしていることをどのように話せば伝わるのかということに関連してくる。

また関連した話で、「この立体図形を他の人が作成できるように手順の文章を書け」という課題を試験に出したという話もあった。昔、文章管理について調べていた際に、製品マニュアル(例えばテクニカルライティング)の執筆にもそのような能力が必要だったな、と思い出した。この手の仕事をする方々は、表現力と読解力が素晴らしいのだろう。素晴らしいマニュアルにはそう出会ったことはないけれど。

単純な言葉では「表現力」と「理解力」だ。この手の能力が欠乏している自分としては、電話コミュニケーションが非常に辛い。それが言いたかった。ただし、メールなら大丈夫かもなので、リアルタイムに言葉を解釈することが苦手なのかもしれない。トレーニングしなくては。慣れと言ってしまえば、それまでだけれども。慣れとか言わないで。

そもそも、「表現力」と「理解力」の高さというものは、8割の人は両立しないのではないか?、とも思い始めている。「理解力」の高い人が「理解力」の低い人のために「表現力」を伸ばすことがあるのだろーかという疑問からだ。「理解力」の低い人(というよりも文化の違う人という表現が正しいのかもしれない)は異次元っぽいので。ただ、この「理解力」の低い人が「表現」した場合は、同等の理解を基準にしているので伝わるのではないかな、とか。そう考えると、ヒット商品って「理解力」の低い人から生まれてくるんじゃねーの?とかツジツマが合わなくなってきたので、そこで考えることを止めた。

「笑い」の質の話もそうだけど、マスに合わせると質が落ちるとかいうアレとか。テレビ見て買うのはアレげな層だから、それに合わせて番組作ると質がアレになるとか。結構いい番組作ってたりするのに見て欲しいめっさ高所得者層が時間が合わないとかで見てくれてないとか。

人に与えられる総量は一緒論(平等論については天才とセンスとジェネラリストと才能の使い道)から、そういう能力の反比例はありげだなぁーとか、くだらないことを考えている。

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