mp3変換サービスと著作権 (3)

私的なネットワークの範囲で複製するという行為について前回考えた。

まず、自分が第3者からサーバを借り、そのサーバに動画からmp3を作るプログラムを入れる。ネットワークを通してCDから読み込んだ音楽データをサーバに移動し、サーバ内でmp3に変換を行い、再度自分のPCにダウンロードを行う。

この行為にあたり、適法だろうか違法だろうか考えている。

ダウンロードした動画を、自分が管理するサーバに複製し、またサーバから自分のPCに複製する作業については私的複製と認められるだろうか。もし認められない場合、第3者であるサーバを貸与した業者が差止請求を受けるだろうか。

まねきTV事例を参考に考察する

この事例については、まねきTVが詳しい。まねきTV事例では、市販されているロケーションフリー機器を使用者から受け取り管理するハウジングを行う業務だった。この事例から分かることは、自宅で購入することで利用することができる機器(例えばロケーションフリー)を、ハウジングする業者は複製の主体、公衆送信の主体にはならないだろうことである。

今回の事例にすれば、自宅で動画からmp3に簡単に変換できるサーバプログラムが存在をし、そのプログラムを貸与されたサーバにインストールすることで利用できるようになった、という事実を作ることができれば、おそらく複製の主体、公衆送信の主体にはならないのではないか、と考えられる。なぜなら、自宅で簡単に利用できるプログラムを、第3者のサーバにハウジングしているようなものと考えることができるからだ。しかし、まねきTVの裁判は5回あり、全ての判例を読み込んでいないので正確であるとはできないが、かなり細かいところまで突っ込んできているので、細心の注意を払う必要がある。

ある程度の解決策

まず、ハウジング業者が、mp3変換プログラムを提供してはいけないだろうと考えられる。このmp3変換プログラムがハウジング業者と密接に関連する場合(例えばそのハウジング業者でしか利用できない場合)主体と見る向きになりそうだ。よって、mp3変換プログラムを作るとしても、どのハウジング業者に対しても容易に実現できる、また自宅における構築も簡単に行える、というものでない限り、私的複製を訴えることは難しそうだ。

そもそもダビング屋で儲けてはならない、と法律の趣旨とされているので、動画からmp3を抜き取るプログラム程度の対価、そして純粋なハウジング料金しか受けとれないような縛りがある。

動画サイトでどの動画がよくmp3変換されているかなどの情報を共有しようとすれば、動画サイトに投稿している他者の権利を侵害する行為を幇助していることになるため、この点から利益を得ることは許されない。と、考えてみたりしたが、動画サイトからダウンロードできるソフトウェア営利で販売しているケースを見れば、それは私的複製の補助をしていると考えられるので、これはこれでいいのかもしれない。このことからmp3変換サイトが複製を代行していることが問題であり、使用者がローカルアプリケーションに提供して、それで使用者が複製を行うことを補助することに対しては問題がないだろうと考えられる。

そもそも私的複製のためのmp3変換システムがネットワーク上になぜ必要かという原点に帰る必要がある。それは貧弱なPCであったり、PCを持っていなかったり、携帯デバイスしか持っていない、もしくはPCに負荷をかけたくないケースが考えられる。もしそのようなケースを考えるのであれば、動画サイトとの連携を考えずとも、すでにローカルに動画ファイルが存在するという前提の下、mp3変換が行われるというシナリオを描くことになる。

まとめ

私的考察のまとめとして、まず使用者が私的複製をするための補助を行うソフトウェアの提供には問題が無く、これを用いて動画サイトから動画をダウンロードしようが、動画からmp3を抜き出そうが問題は無い。これをカウントしてサーバに知らせる機能を付加したとしても、それはDVDレコーダーにおいてどの番組が人気かどうかを伝える指標にしか過ぎず、その行為によって違法に近づく(主体がサイト運営側に行く)ということは、まず、ないのではないか。

そして、このローカルで容易に実行しうるプログラムをレンタルサーバに入れさせる行為には、問題がない。しかしながら、サイト運営者として、レンタルサーバを指定してはならず、一般に存在するどのようなサーバに入れても動作する形で提供する場合に限る。もちろん、サイト運営者が本家を主張してサービスを提供することで、サポートしても料金を取ってもいいのかもしれない(少し危険だが)。

この結論はSaaSだろうか、IaaSだろうが変わらない。変換したデータの共有とかキャッシュとか、そういった概念を持つこと自体が、既に私的複製の域を外れているように見えてしまう。

ということで、現状の著作権法におけるクラウドの立ち位置に対する自分の理解はこんなもので大丈夫だろうか。

動画サイトのものを複製する場合は、その動画の元々の権利者が訴えなければ問題にならないので、表面化するには時間がかかるだろう。

P.S.

で、このような法体系だと、本当に純粋に使用者同士が近づかないmp3変換サービスを提供して効率性を求めて同じサーバに同居するような状況で運営していても、私的複製には見なさないような流れになってしまうので。

法の改正というか、どうやったらダビング屋が栄えず、かつ、私的複製を低コストでサーバ上で提供できるようにするかを考えなければいけない。ローカルで利用できるプログラムをサーバにアップロードして利用しなければならない、なんて、プログラム提供する側も利用する側も不利益だ。私的複製として明らかである変換モデルを定義して、それを通すような動きが必要なのだろう。

知らんけど。

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mp3変換サービスと著作権 (2)

mp3変換サービスの過去の事例について調べよう。

livedoor エンコーダーの事例

mp3変換サービスの因縁はライブドア、音楽CDのMP3変換代行サービス「livedoor エンコーダー」−作業料は1枚199.5円で50枚単位。CCCDはサービス対象外の件から始まる。

このサービスは途中でライブドア、音楽CDのMP3変換サービスを再開−ユーザーによるデータ権利者への承諾が必要になり、最終的にはライブドア、音楽CDをMP3に変換する有料サービスを停止することになる。

livedoorは停止の理由を明らかにしていない。憶測で書くと、途中でユーザーによるデータ権利者への承諾が必要になったことは私的複製として認められないことをlivedoorが判断したからの行動ではないかと考えられる。

私的考察

私的複製が認められない理由については複製の行為の主体がlivedoor側にある点からしてダビング屋と同等の行為を行っているとみなせる。それは営業として複製行為を行っている(利益を得ている)ため、なお明らかである。よって、複製を行っている主体であるlivedoorに対して著作権者は差し止め請求を行うことができると考えられる。

第三十条  著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。

一  公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器(複製の機能を有し、これに関する装置の全部又は主要な部分が自動化されている機器をいう。)を用いて複製する場合

これについて、著作権法を引用して解説してみる。

第三十条の一において、ダビング屋を禁止するための例外条項が書かれている。これによって、ダビング屋に渡して複製する行為は一項使用する者が複製することに反する。またダビング屋が設置した機器を利用して使用する者が複製する行為も一項公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器を利用することになるため反する。

なぜこのような法律になったのか考えると、この条項を定めておかないとダビング屋が複製を作れてしまうことになり、著作権者が保護されなくなってしまうからだと考えられる。

   第八章 罰則

第百十九条  著作権、出版権又は著作隣接権を侵害した者(第三十条第一項(第百二条第一項において準用する場合を含む。)に定める私的使用の目的をもつて自ら著作物若しくは実演等の複製を行つた者、第百十三条第三項の規定により著作権若しくは著作隣接権(同条第四項の規定により著作隣接権とみなされる権利を含む。第百二十条の二第三号において同じ。)を侵害する行為とみなされる行為を行つた者、第百十三条第五項の規定により著作権若しくは著作隣接権を侵害する行為とみなされる行為を行つた者又は次項第三号若しくは第四号に掲げる者を除く。)は、十年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
2  次の各号のいずれかに該当する者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
一  著作者人格権又は実演家人格権を侵害した者(第百十三条第三項の規定により著作者人格権又は実演家人格権を侵害する行為とみなされる行為を行つた者を除く。)
二  営利を目的として、第三十条第一項第一号に規定する自動複製機器を著作権、出版権又は著作隣接権の侵害となる著作物又は実演等の複製に使用させた者
三  第百十三条第一項の規定により著作権、出版権又は著作隣接権を侵害する行為とみなされる行為を行つた者
四  第百十三条第二項の規定により著作権を侵害する行為とみなされる行為を行つた者

このうち重要なのは営利を目的として、第三十条第一項第一号に規定する自動複製機器を著作権、出版権又は著作隣接権の侵害となる著作物又は実演等の複製に使用させた者五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処される点である。

インターネット喫茶にスキャナー機器を置く事例

この件に関する事例を調べてみると、インターネット喫茶の事例で興味深い事例に出会う。例えばインターネット喫茶にスキャナー機器を置き、インターネット利用者が持参してきた書籍の読み取りを行い電子化する行為を行う場合はどうなのか、についてだ。

コンピュータを用いた例えばスキャナーによる著作物の読み取り行為は公衆の自動複製機器による複製と見られることになる。つまり、インターネット喫茶を運営する主体が権利者に無断で複製を行っていることになる。

スキャナーサービスを事業化する事例

スキャン行為を営業サービスを考えるにあたり、例えば、書籍、もしくは図版を業者が受け取り、スキャナー機器でスキャンして電子データとして渡すサービスを考えてみる。

この行為は依頼者が権利者に無断で電子データとしているならば、使用する者が複製するとは見なせない。よって、複製(スキャン)を行っている業者に利益の侵害のための著作権法による差止請求権を発動することが可能である。

注意点

ただし、これらの差止請求権を行えるのは、権利者の著作物を侵害するだろうことが明らかであるサービスにおいてである。つまり、行為の依頼者自身が権利者である場合、無断複製とはならない。この無断複製と合法の複製の割合で、サービス自体の差止になるのかどうかが決定されるのだと考えられるが、よく分からない。

例えば、前述の書籍の電子化サービスの場合、一般書籍の電子化をしますという文面でサービスを行った場合、許諾を得ている可能性は低いことから無断複製の可能性は高い。一方、書類の電子化をしますというサービスであるのなら、合法の複製の割合も分かるので、サービス自体の差止めにはならない。(が、もちろん一般書籍の電子化は行えない。)

ネットサービスにおける考察

この事例より、ネットワーク上のサービスといっても、使用者が公衆の自動複製装置を利用する場合は私的複製にあたらないため、既存のmp3変換サービスは全滅である。なぜなら動画サイトよりダウンロードを行う時点で既に複製の代行が行われており、ダビング屋と同等であるからである。

この点についてネットワーク上のサービスが公衆の自動複製装置として認められるかどうかが争点になりそうだ。ネットワーク上のサービスであるが、それの利用場所は自宅である。しかしながら、この場合の公衆の意味とは、誰でも利用することが出来る装置という意味だろうから、ネットワーク上のサービスも含まれると考えたほうがいいだろう。この事例については認証を行っていようが物理的に同一のサーバを利用していれば公衆であるという判断がMYUTA事例によって行われているため、私的範囲であるとするのは困難である。

動画から音楽を抜き出すのは複製か、という判断については、動画の中に音楽が含まれており、形状はどうであれ内容としては同一と認められるため、複製と見なせる。

よってこのままサービスを続ければ、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処される可能性は高いと判断している。

私的複製のスタート地点

個人的考察では、mp3変換サービスはどのような形であろうとも、困難であるとするのは早計であるので、どうにか通す余地はないか考察してみる。

まず私的なネットワークの範囲で複製するという行為を考え、それをサービス化する流れで考えてみよう。

まず、自分が第3者からサーバを借り、そのサーバに動画からmp3を作るプログラムを入れる。ネットワークを通してCDから読み込んだ音楽データをサーバに移動し、サーバ内でmp3に変換を行い、再度自分のPCにダウンロードを行う。

この行為がどう判断するのかどうかの考察については、もう寝る時間なので、明日考えて、飽きてなかったら書こう。

追記

あれ、Proxyは自動複製機器じゃないの?

追記その2

ちなみにlivedoorエンコーダーと同様のサービスを行っている米RipDigital社は今日も元気に営業しているとさ…

めでたし…めでたし…….ざわ…ざわ…

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CAD図面の裁判判例を読む

にこさうんど、nicomimiとnico3gpの著作権問題について判例を参考にせずに適当なことを書いてしまったと思い、改めて判例を見直すことにして最近の知的財産裁判例を見ていたらCAD図面の創作性に関する面白い判例を見つけたので読んでいた。

CAD図面とは例えばgoogle画像検索:CAD図面のようなもの。このCAD図面を元にして建築物だったり機械だったり部品だったりが作られるので、例えば料理におけるレシピのようなものと考えることができる。いや、特定の機能を達成するためのプログラムソースに例えられるものかもしれない。とすれば料理研究家とレシピと著作権についてで考えたとおり、創作性はどうなのか?という疑問が沸くことになる。

この判例文を読む。

事実関係

被告から原告に委託する。被告が販売する製品のCAD図面を原告が作成し被告に納入するという内容のもの。これが数回行われる。この作成の際に被告カタログ、および被告製品を参考にする。被告はそれに新製品を追加したCD-ROMを制作し、頒布している。またWebサイト上でダウンロード可能にしている。

争点

(1) 本件CAD図面の著作物性(争点1)
(2) 被告CAD図面は本件CAD図面を複製し又は翻案したものであるか
(争点2)
(3) 被告の故意又は過失の有無(争点3)
(4) 損害額(争点4)

原告の主張

本件CAD図面は,「CAD図面に対する作者の技術思想やあるべき姿の期待と憧れ」(思想又は感情)を「寸法・数値・形状を,原点,一筆書き,寸法記載など作者固有の個性を交えてCAD図面化したもの」(創作的に表現したもの)で学術的な範囲に属するものである。

被告の主張

CADとは「製品の形状,その他の属性データからなるモデルを,コンピューターの内部に作成し解析・処理することによって進める設計」をいい,この用語の定義はJIS規格において定められている。そして,CADによる作図も,同じくJIS規格においてその方法が詳細に規定されており,CAD図面は基本的にJIS規格に準じて作成されている。

本件CAD図面が作成された平成10年当時のCAD図面作成に関するJIS規格である「JIS B3402」によれば,線の種類(実線,波線及び波線のパターン),波線や点線のそれぞれの要素の長さ(実線部分,隙間のそれぞれの長さ),断続線が交差する場合の表現,図形の投影方法,さらには図面内に記載する文字のフォントまでもが定められているのであるから,CAD図面はそもそも規格化された表現方法により作成されるべきものであって,個性的な表現方法を採用することがむしろ禁じられているものであるといえる。

かかる観点に照らせば,少なくとも本件CAD図面のそれぞれについて具体的かつ明確に創作的表現部分の存在が主張立証されない限り,本件CAD図面の著作物性が肯定される余地はない。

見解

原告は創作性を分類して表現しているが、これを1つずつ解釈をしている。

創作1:立体物を数値を有する図形として平面上に表現した。
創作2:製品の機能や形状を作者の意図で取捨選択し図形形成した。
創作3:平面表現では不可能な製品の質感・光沢・製品価値を表現した。
創作4:設計図内のその他の構成部品との調和と整合性を有する図形として略図化し,完成度合いを調整した。
創作5:独自に創作した寸法値を採用することにより設計情報の漏洩を防止した形状を表現した。
創作6:作図過程で線数を減らす表現として,CAD上で一筆書きが可能な形状に整えた。
創作7:CAD図では試みない図形への寸法記入やテキストによる部品説明で表現できない内容を補助した。
創作8:作図内に絶対的原点を設けて表現をした。
創作9:作図過程においてコンピューターとの対話により,グローバル環境で表現するための作図コマンドで図形を表現した。
創作10:中心線や補助線の長さや比率を統一することにより,図形の美観を整えた。
創作11a:遠近法や2.5次元などで作成することにより製品イメージのリアル化を試みた。
創作11b:図形を平面・正面・側面・詳細図等の一つの画面(1ファイル)で構成した。
創作11c:製品と取り付け金具とのアセンブリ図を図形内にブロック化し描いた。
創作11d:対称図形を考慮した作図過程を試みた。
創作11e:パラメトリック表現可能な配列とした。

このうち裁判所の判断は

著作権法は,「著作物」を「思想又は感情を創作的に表現したものであって,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」と定めており(2条1項1号),思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから,思想,感情若しくはアイデアなど表現それ自体でないもの又は表現上の創作性がないものについては,著作権法によって保護することはできず,これを著作物ということはできない。

原告は,創作1ないし11eを具備することを根拠として本件CAD図面が著作権法上保護される著作物であると主張しているので,まず,上記観点に照らして創作1ないし11eが本件CAD図面の著作物性を根拠づけるものといえるかについて総括的に検討し,続いて,個別の本件CAD図面について,その著作物性を判断するために必要な検討を加えることとする。

とし、原点である著作権法は何であるかを問い、創作1から順に創作性があるかないかを示す。

まず、創作1,5ないし10,11b,11c,11d,11eはアイディアであり、またきわめて表現としても極めてありふれたものにしかすぎないとしている。しかし、創作2ないし4及び11aに関しては表現内容いかんでは創作性を認める余地はあるとしている。

そして事実確認であったとおり、もともと被告カタログを元にしている部分があるので、その部分の創作性は認められず、新たに書き起こした部分について創作性が問われるものとする。つまり、書き足した部分か、別の表現方法を用いたものでない限り保護の対象にならない。

ウ また,本件CAD図面は,主として,CADによって設計業務を行う際にCAD化された被告製品の設計図への取込みを可能にすることを目的として作成されたものであるから,被告製品の形状,寸法等を把握できるよう,通常の作図法に従い正確に描かれている必要があるから,具体的な表現に当たってP 1が個性を発揮することができる範囲は広くないといえる。

そうすると,本件CAD図面と本件カタログの図面に相違部分があったり,本件CAD図面に本件カタログにはない図が追加されていたとしても,当該相違部分や追加された図が通常の作図法とは異なる方法で表現されているなど,P 1の個性の現れを基礎付ける具体的な事実が立証されない限り,その部分に表現上の創作性を認めることはできないというべきである。

この後、各図面において創作性の確認が行われるが、結論として創作性は認められなかった。

(5) 小括
以上に検討したとおり,本件CAD図面は,いずれも表現上の創作性を具備しているとはいえないから,著作権法上保護される著作物と認めることはできない。

個人的見解

今回の裁判例は、本質的にCAD図面に著作権が存在するのかどうかの話が行われたのかどうかは判断できない。というのも原告カタログからCADへの変換の事例に創作性が認められるかどうかについての議論に終始しており、図面そのものに創作性が存在するのかどうかに関しては議論していないからだ。

過去の事例

もっと過去の事例によると(判例文)、この事例では、同じ設計図を用いて製品を作った場合に、製品の製作は設計図の複製にあたるかどうかについての裁判が行われている。結論としては、

原告本件設計図は、原告の設計担当の従業員らが研究開発の過程で得た技術的な知見を反映したもので、機械工学上の技術思想を表現した面を有し、かつその表現内容(描かれた形状及び寸法)には創作性があると認められる。

がしかし、

(中略)技術的思想そのものは、要件を満たした場合に特許法ないし実用新案法により保護されるべき性質のものであり(その意匠が意匠法により保護される場合もある)、著作物として保護されるのは、その表現(図示された形状や寸法)であると解される。

とされている。
特に大事な点が、

三 争点3(設計図に基づく機械の製作が設計図の複製になるか)及び争点4について

 著作権法において、「複製」とは、印刷、写真、複写、録音、録画その他の方法により有形的に再製することをいう(著作権法二条一項一五号)のであり、設計図に従って機械を製作する行為が「複製」になると解すべき根拠は見出し難い。原告は、それに基づいて製作することが予定されている設計図については、複製に建築に関する図面に従って建築物を完成することを含む旨規定する著作権法二条一項一五号ロを類推適用すべきである旨主張する。しかしながら、右規定は、思想又は感情を創作的に表現したものであって学術又は美術の範囲に属するものであれば、建築物はそれ自体が著作物と認められる(著作権法一〇条一項五号)から、それと同一性のある建築物を建設した場合はその複製になる関係上、その建築に関する図面に従って建築物を完成した場合には、その図面によって表現されている建築の著作物の複製と認めることにするものであるが、これに対して、原告矯正機の如き実用の機械は、建築の著作物とは異なり、それ自体は著作物としての保護を受けるものではない(それと同一性のある機械を製作しても複製にはならない)から、原告の右主張は採用できない。

結論としては、製作物は著作物の複製として認めないが、設計図は明らかに複製なので捨てなさい、ということ。

つまり、設計図の図面が著作物として認められたことになる。

これ以外の判決文を読むと、図形に対する創作性を回避して説明文の創作性を認めていることから、図面の創作性を示すのは文章よりも難しいのだろう。が、一応、図形に関しては創作性があるとは言えそうな感じがしてくる。

重要なのは、図面内に技術思想表現出来ているかどうかにありそうだ。紙に書かれた図面をCAD化するだけでは技術思想表現するに至らず、その製品を作る過程における研究開発の過程で得た技術的な知見が入っているかどうかが著作物かどうかの分かれ目になろう。しかしながら、研究開発の過程で得た技術的な知見そのものは実用新案や特許で保護されるものであり、それを用いた製作物の製作を差止めできるものではなく、設計書の複製を差止めるに留まる。

CAD図面=設計書の創作性自体は認められる、ということで。

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にこさうんど、nicomimiとnico3gpの著作権問題(追記)

この記事は古くなりました。
追記
ニコニコ動画公式においてNicoSoundという名称で音声ダウンロードサービスに対応した。

これまでニコニコ動画はJASRACと包括契約を締結していたが、このサービスのために従来の契約内容を更新し、DLまで可能になったことを発表した。

また、JASRACとの契約も更新され、ダウンロード数に応じて作者にお金(使用料)が回る仕組みであるとのことが報道されている。音楽の作者へお金が回るようにするためには、公式のNicoSoundでダウンロードすべきである。

その他のダウンロードサービスを利用することは、本来、作者へ入るはずだった使用料に損害を与える、財産に損害を与えることになる、ということが明らかになった。NisoSoundが公開される前の状況よりも、ダウンロードサイトの管理人としてはより危険な状況と言えるのではないか。

今までの内容
世の中にはニコニコ動画の動画データからmp3に切り出しを行うにこさうんどnicomimiのようなサービスが存在する。またnicomimiの制作者はニコニコ動画のデータを携帯電話向けに変換できるnico3gpというサービスを運営していたりする。他にBRIDGEというサービスではニコニコ動画のプレミアム動画のデータを引き抜き公開していたりする。

個人的には話題になってるストレージ著作権問題の件TV番組の海外転送は適法判断(知財高裁)など、PCとネットワークとメディアの著作権に興味があり、当然、ニコニコ動画の変換サービスにも興味がある。問題なのは、これらのサービスが適法なのか、違法なのか、の判断だ。違法であるとするには、何の権利を侵害しているのかどうかを示さなければならない。

この点について本日時点で検索で調べてみたが、なかなか出てこない。そこでこの件について自分で考えてみることにした。

争点

これらのサービスはニコニコ動画から動画のダウンロードを行い、変換(切り出し)を行い、不特定多数の利用者へのダウンロード行為を行っている。

この行為でも問題になるのは、著作権のうち、「複製権」と「公衆送信権」であると考えられる。

複製権

まず、ニコニコ動画から動画のダウンロードを行うという点について、複製を行っていることから、複製権の侵害が考えられる。その著作権者はニコニコ動画の運営元ニワンゴ(ドワンゴ)ではなく、元々の動画の投稿者であると考えられる。なぜならニコニコ動画の動画アップロード規約を確認してみても、投稿者からニワンゴへはWeb上での公開する権利しか認められていないからだ。

つまり、動画の著作権の権利の多くはニワンゴに許可しておらず、動画の投稿者が保持する。つまり、ニワンゴ側に複製権侵害を題目とした警告は出来ない。元々の動画の投稿者は可能であり、かつ、複製の禁止、削除を求めることができる。

私的な複製

複製権の回避の方法として、私的複製が挙げられる。

第三十条 著作権の目的となっている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は,個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは,次に掲げる場合を除き,その使用する者が複製することができる。

一 公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器(複製の機能を有し,これに関する装置の全部又は主要な部分が自動化されている機器をいう。)を用いて複製する場合

つまり、サイト利用者側が私的複製のために利用していると考えられるものであり、複製権侵害にはあたらない、という議論も予想される。以前の裁判事例のうち、複製の主体性が運営者にあるかどうかが問われる点があった。今回のシステムでは、利用者と1対1対応するサーバ機器ではなく、複製の主体はサイト運営側にあると判断され得る。よって、私的複製が認められない可能性がある。

また、除外される項目として「公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器」が考えられる。公衆、つまり不特定多数が利用することを目的としている自動複製機器と判断されることがあれば、このサービスは私的複製に当たらず、違法である。

この複製権については、複製をしていないことを立証できればいいが、これらのサービスは全て複製をしていると考えられるので、回避は困難である。

公衆送信権

つぎに「公衆送信権」について考えてみる。

これらのサイトでは、変換者以外の利用者でも、既に変換が行われたデータをダウンロードすることが可能である。公衆とは不特定多数のことであるから、この点に当てはまる。つまり、公衆送信権の侵害である。

それでは、公衆送信をしなければいい、という考えで変換したユーザだけでダウンロードが行える仕組みはどうなのか、を考える。MYUTA事例では、MYUTAはストレージサービスであり、ユーザが携帯電話向けに変換したデータを預かり、携帯電話の固有番号と紐付けを行った上で配布することを実現しており、一見は特定ユーザへの配布を行っているように見える。

しかしながら裁判判決文では、

なお,本件サーバに蔵置した音源データのファイルには当該ユーザしかアクセスできないとしても,それ自体,メールアドレス,パスワード等や,アクセスキー,サブスクライバーID(加入者ID)による識別の結果,ユーザのパソコン,本件サーバのストレージ領域,ユーザの携帯電話が紐付けされ,他の機器からの接続が許可されないように原告が作成した本件サービスのシステム設計の結果であって,送信の主体が原告であり,受信するのが不特定の者であることに変わりはない。

とされ、「公衆」への送信とみなされてしまっている。

これを回避するためには、「まねきTV」事例と同様に、ロケーションフリーTVなどのような事業者が用意したとは言いがたい機器をハウジングするシステム構成をとることになる。具体的には、ニコニコ動画からダウンロードして登録者のみがデータをダウンロードできるような1つのハードウェアをサービス事業者以外の事業者から購入して利用するという形になる。

まとめ

以上のことから、これらのサービスは「複製権の侵害」「公衆送信権の侵害」を行っているものであると今までの判決から考えられる。

と、書いていたら【注意】 nicomimi のトップレベルドメインが「.com」から「.net」に変わります。において、ドメインを止められ、

お問い合わせについてですが、当該ドメイン「nicomimi.com」は著作権法違反幇助の疑いで2009年5月21日付けで利用停止処置となっております。

ということになっているらしい記事を見つけた。この場合、著作権法違反幇助とされているので、主犯が存在するはずであるが、主犯は利用者側にあるのか、ドメインに対するサイトを主犯としているのかについては分からない。

正当な自身のコンテンツの投稿者が訴えているのか、レコード協会が申し出を出したのかどうかは疑問だが、そろそろ裁判沙汰になりそうな雰囲気なので、色々と勉強させていただきたいと思う。(レコード協会のやり方だと一箇所だけ犠牲になるんだろうなぁ)

P.S.

話題になってるストレージ著作権問題の件で間違っていることを書いていることに気がついた。

まとめると、「公衆送信権」には問題がないけれど、「複製権」に問題がある、ということ。

は嘘で、公衆送信権に問題あり。つまり、「複製権」と「公衆送信権」に問題あり。

ちゃんとした見解を書くには関係ある判決文を一度、読み直さないといけないな…

追記その2、MYUTAの件が与えた影響

で、個人的にはMYUTAの件については上告されるべき事例だったと思う。この事例の影響は大きすぎる。様々なサービスがネットワークを通して出来なくなるし、ネットワークを通した行動であっても私的複製と見解される事例はあっても良いと思う。ということで、裁判になって正しい判決が出てくれると社会の利益になるので、望ましいと思う。

追記その3、合法に利用するには?

現状の法体系で合法なのは、ダウンロードツールを用いたダウンロードと、そのダウンロードしたデータからmp3をツールを使って切り分ける行為だ。この2つはフリーのツールでもいいし、商用のツールでもいい。販売する側も商号などを勝手に利用しなければ合法だと考えられる。

ただし、あまりに酷いプログラムで負荷を与え続けるなどの影響があると、営業妨害になってしまうかもしれないが、通常、そのようなプログラムを書くことはありえなそうなので、大丈夫かと思う。

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ゴーストバスターズのゲームが出るそうで

HD版

Wii版

Wii版に対してデフォルメしているのが、すごい。同じソースを使っているのだろうけれど、どうやれば、こんなことにできるのかわからない。

ところでゴーストバスターズは映画として初めて認識した作品。グーニーズ、バックツーザフィーチャー、ターミネーター、ロボコップ、ホームアローン…この頃の洋画は良かった。夢があった。

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ネット掲示板とその思想について

以前から、以下の点が気になっている。これはネット世論についてだ。

  • 嫌韓に向いたのはなぜか。
  • 靖国参拝に賛成であるのはなぜか。
  • マスゴミと言うのはなぜか。
  • アンチ日教組、アンチ労働組合なのはなぜか。
  • 国旗、国家、天皇に固執するのはなぜか。
  • 外国人参政権、外国人移民を嫌うのはなぜか。
  • 麻生首相がローゼン閣下で人気なのはなぜか。
  • 麻生首相が秋葉原で人気なのはなぜか。
  • アンチ朝日なのはなぜか。
  • スイーツを笑うのはなぜか。
  • ネット世論における男女比はどうなのか。
  • ニコニコ動画で自民党が第一党なのはなぜか。
  • 民主党批判はいいとしてなぜ自民党を推薦するのか。他にも党はある。

彼らの言葉に違和感を感じて、某ブログのコメント欄の時間あたりの投稿数をグラフにしてみた某ブログのコメント欄の時間あたりの投稿数をグラフにしてみた (2)などの分析をしてみた。

追い込まれたネトウヨの集団ヒステリー「うちの息子がネットウヨクの影響でおかしくなってます」からに出てくるような、印象を不覚にも感じてしまった。おそらく、彼らのような集団は、存在しているだろうと予測する。(ただし引用したURLのように誇張された表現ではなく)それは表に出ていなく、精神的な水面下の中で。そうした思想の流れは様々なサイトを通して若年層に受け継がれていっている感がある。

現実の世界で、このような批判をしている人がいるだろうか。もしいるとすれば、話を良く聞いてみると面白いかもしれない。おそらく発端…というか源流は歴史教科諸問題、日韓ワールドカップと韓流ブームと嫌韓流などが絡んでいるかと思う。ただし、この考えに乗る人々の境遇、待遇、扱いを考えてみると、仕方ないのかもしれない。

今回の選挙で、エセでもいいから簡単な政治サイトを作って釣り針を垂らしてみれば本質が分かったかもしれない、と後悔している。次の選挙では、釣堀を作っておこう。

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ひさびさに映画館に行ってきた件について

エクストリームスポーツの1つに数えられる一人エクストリームという競技には一人カラオケ、一人映画、一人ファミレスなどが存在する。これらは序盤難易度であり、高難易度に達すると一人お台場、一人ディズニーランドを極めることが出来る。

という冗談はさておき本題に入る。自分は、人間として最低限文化的な生活を歩んでこなかったためか、他者の娯楽要素に関して理解が及ばないケースが多々ある。それは価値観の違いと断ずることができるかもしれないが、人が何に苦労しているのか、人が何に幸せを求めているのか、について考える際に、一般的な娯楽要素がどれほどの価値を持つのか分かっていないと他者の理解は困難である、という結論に至った。

人がどのように生き、その中でどのような技術が必要とされ、その技術にどれほどの価値を感じるのか、それを知らなければ、自分の枠の中で独りよがりなものの提供になってしまう。そういったものを他者がしてきたのも見てきたし、自身がそういう方向のものを提案したりすることもあった。それがどうやら、自分の限界なのではなかろうかと思えるようになり、今年に入ってから他者の理解を進めるため、今まで体験をしてこなかった娯楽に手を出している。

逆に言えば、一般的な娯楽を体験していない稀有な存在であるため、他者には当然過ぎて見えない概念のようなものが見えることも期待している。

そうした娯楽の中でも映画というシステムが、自分にとっては不思議な存在だった。

単純に映画というものを考えれば、お金を払ってコンテンツを1回だけ見るPPV(ペイパービュー)である。それはDVDをレンタルして借りて、もしくはテレビ放送から見る行為とどれほど違うのだろうか?という点に尽きる。単純にストーリーを楽しむという次元であるのなら、テレビで見ることと違いはないはずで、映画館には他にはない特徴があるからわざわざ見に行くのだろうということが気になっていた。また、収益性においても優れているはずで、ドラマ、アニメ、特撮から映画制作という流れがある以上、儲けやすいものなのだろうかという疑問もある。昔からテレビで映画の宣伝をしているのが不思議でしょうがなかった。

まず映画館を探すのに苦労した。見たい映画のサイトから上映している映画館を探し、通り道である場所を選んで行くという手法をとった。前売り券なるものを買うと安いようだが、ふらっと入ることにした。

映画の始まる前に予告が行われており、その時間に入りたかったのだが、遅れてしまい、上映5分後に到着した。上映が始まってからでも入れるのかどうか気になったが、思い切って声をかけてみたところ、入れるようだったので、入った。

上映中のホールは真っ暗で、目が慣れていないためか、人が席に座っているのかどうかすら分からなかった。仕方が無いので、一番後ろの席から見ることにした。人はまばらで席が空いているようだった。途中、出入りする人が多い。最後列から見るスクリーンは少し小さいように感じたが、途中で慣れた。

暗い中でスクリーンに注目せざる得ない状況下で分かりやすい音響を見るという行為は、新鮮だった。家で映画を見るときは証明があり、ながら作業で、ときにはCMが入り、本気モードの音響は用意しないし、場合によってはアナログテレビで見る。一時期、遮音室を作ってホームシアターやスタジオを作りたい、5.1chをそろえたいという衝動に駆られたときがあったが、そのようなものを用意するには金がかかる。それよりも2000円弱でそのような環境を借りられるとすれば、それはそれで価値のあるものだ。

気持ち的には、映画館とは休日に気合を入れて行くものだという感覚が強く、夕方5時に入るという形は新鮮だった。夕方5時、7時でもいいとすれば、それは帰り道でも気軽に入れるということだ。問題は帰り道の途中に映画館があるかどうか、その点だ。

2000円弱の金額が高いか安いかについては、個人的には安いように感じた。現在の気持ちとしては、見たい映画があれば映画館で見たい、それほど見たいと思わないものはわざわざ借りて家で見ない、という感じに切り分けがなんとなく見える。喫茶店で勉強すると集中できるという噂があるが、映画館にもそれに似たような魅力がある。

ということで、映画というシステムが好きになったので今までにもっと見に行けば良かった、と思った。スタイルとしては少し早い帰り道の途中で見るという形がいい。ただ、ふらっと入るには、現在時刻と地理(帰り道)に合わせた映画館の上映時間の情報、また上映内容がさくっと携帯に入ってくるような状態じゃないと、(使うのは)難しい。

技術的な話だと、映画館のデジタル化が進んでいて、どーやってデータを送信したりするのか、コーデックどーすんの?とか、コピー防止どーすんの?とかが興味深い。上映環境もソニー、国内映画館のデジタル化を支援するサービスを10月より提供など情報が出てきているようなので、絵作り含めて分析しても面白いかもしれない。

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