国内でクラウドと名のつくものがたくさん出る

Linodeは非常に良く価格的にも安定感にも性能的にも満足しているVPSサービスだ。しかし場合によってはRTTが遅い点と転送量が制限されてしまう点に課題を感じることがある。

国内のサービスを利用したいのだが、現時点において満足できるのは転送量の制限のないsakuraのサーバだけだ。しかしsakuraのサーバは初期費用がかかり、月額制なので気軽に試すことができない。

そうした中、国内でクラウドと名のつくサービス群が次々と登場しようとしている。

  • NTTデータ「BizCloud」
  • KDDI「KDDIクラウドサーバサービス」
  • ソフトバンクテレコム「ホワイトクラウド」
  • ライブドア「ぽこぽこクラウド」
  • IIJ「IIJ GIO」
  • NIFTY「クラウド」

各社ごとにクラウドの定義は異なるようなのだが、これらのサービスはVPSに近いもののようなのだ。

日本において今までのサービスでは、データセンターもしくはその中のサーバを専用に貸し出すサービスがハードウェア層として存在していた。その上のレイヤーとしては、ASPもしくはSaaSと呼ぶべきWebアプリケーションの貸出サービスが存在している。その中間層としては、1台のサーバを共有する共有レンタルサービスが存在しているが、この仕組みでは同じOSシステムを共有することになり自由度が低かった。

仮想化技術の発展によって、1台のサーバに複数のOSを動作させられるようになり、VPSとして注目が集まるようになった。VPSにはサーバのディスクイメージという概念がありOSそのものを簡単に入れ替えできる。さらにバックアップが容易である点、時間単位の課金が可能になった点などのメリットがある。

クラウド業界では、Amazonが先んじて著名なサービスを提供しており、それに続いてGoogle(厳密にはPaaS)が、周回遅れてMicrosoftが追いかける形になっている。大手の企業がサービスを提供することで、世界のデータセンターは5箇所程度になるのではないか、という過激な意見もある。そのような状況下、ようやく国内のサービスプロバイダーも、そのようなサービスを提供し始めた、という流れだ。

国内クラウドに対しては、安くて時間単位で借りやすいサービスであることを望む。

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このように集約に向かう流れだが、コンピュータ業界は「集約と拡散」を繰り返してきた業界でもある。

拡散の向きとして、大手のプロバイダーにデータを任せることができるものだろうか、という意見があり、プライベートクラウドという言葉までが飛び出してきている。その一端がUbuntuベースのEC2互換ディストリビューションEucalyptusであったりする。

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ipadに対してflash批判が思った以上に多い件について

ipadは新しいタッチの世界を継承するのだからFlashやJavaのようなレガシーを持ってこない。またipadでは場合によってはFlashやJavaのようなスクリプトは重いのでユーザーに不快感を与える。せっかく育ったタッチのためのAppStoreを崩壊しかねない。

というような、理由でipadにはFlashは搭載されないのだろうが、思った以上にFlashを載せないことへの批判が多いようだ。

これはipadを欲しいと思うユーザー層に関連していると考えられる。ipadに興味を持っている層は、現時点では、iPhoneの購入者、デザイナー、もしくは電子書籍、ガジェット好きに分類される。別の言い方をすれば、iPhoneアプリ開発者・利用者、Macデザイナー、その他に分けられる。

iPhoneアプリ開発者、利用者に関しては、現状と同じ構成なので、ipadに文句はないだろうと思う。

それに対して、デザイナー層において、Mac利用者でありながらAdobe利用者である層はかなり多いはずで、Adobe利用者の場合、インタラクティブなアニメーションのためには、ほぼFlashに触れることになる。Flashはオーサリングソフトの出来がよく、Adobe製品の利用者であれば、簡単に高品質なアニメーションを作ることができるからだ。そうしたアニメーションの世界を引きずって、ipadで見てみたい層というのは存在するのではなかろうか。

そのようなインタラクティブなアニメーションを実現するには、iPhoneアプリの作成、HTML5の駆使などが考えられる(iPhoneアプリではスクリプトやヴァーチャルマシンなどのプログラマブルなものは認められていないようだ)。よって、iPhoneアプリの作成にはObjective-Cの習得が必要で、HTML5の習得には弩級のJavascriptとCanvas(もしくはsvg)の知識が必要で、既存のデザイナーには無理感が漂う。つまり、インタラクティブなアニメーションがデザイナー単体からは出てこない。しらんけど。

そういったものをipadという新しいデバイスで楽しみたい層、作りたいという層というものが存在して、悲しい思いをしているのではないか、と感じている。逆に考えると、今存在するiPhoneアプリというものは、プログラマー単体のものか、プログラマーとデザイナーの共同作業が渦巻いているのだろうなー、と。一度も見たことないけれど。

と、妄想しながら、ipadの発売日を待つのであります。

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Adobe AirのローカルDBにて課題だと思った点について

Adobe AirにはSQLiteをベースにした、ローカルDBが標準で付属する。これによって、Webから取得したクエリを保存して、検索しやすい形で保持することが可能になる。さらに、アプリケーションが強制的に終了した場合に対しても安心できる。WebブラウザでもローカルDBとして用意される向きにある。SQLiteを前提としていることが多いようだ。

AirではAirrecordというActiveRecord系のO/Rマッパーが存在しており、それをさらにカスタマイズして利用してみた。当初はこれでうまくいっているように見えたのだが、データベースに入れる項目を増やそうかと考えたときに、面倒だと思える作業が発生した。

それは古いDBと新しいDBとの互換性であり、古いDBであれば、新しいDBにするために列を増やすためのSQLを発行しなければならない。テーブルのスキームを1つずつ確かめ、必要があればデータをダンプし、移動するという作業はひどく面倒な気がしたので、項目を新しくすることも出来ず、そのまま意欲がそがれてしまった。サーバのDBを変更するのであれば、そこまで難しい問題ではないのだが、クライアントDBを変更するという点については、様式すら思い浮かばなかった。

この問題を数ヶ月放置していたのだが、解決するにはどうしたらよいのか、いくつか考えがまとまってきた。

1つは、データベースにバージョン情報を載せ、古いバージョンであれば、変更箇所のcreateなりalterなりを食わせる方法だ。以前はスキーマを確認して無ければ追加するという方法しかないと思い込んでいたが、バージョン情報で管理する方が楽そうだ。

もう1つはSQLite上にスキーマレスなデータベースを構築することだ。最近は大規模情報の管理のためにNoSQLという風潮が高まっているが、スキーマそのものを定義しない点に着目して、独自の機構を作るとうまくいくのではないだろうか、という発想だ。この手法であれば、スキーマを決定する苦痛から逃れられるが、NoSQL独特な設計が求められることだろうと思う。

スキーマレスには惹かれるものがあるのだがどーなるのか分からない。かつ、ActiveRecordな実装が存在しているので、現時点ではデータベースのバージョン情報を管理するmigrationを実装した方が楽そうだ。javascriptのActiveRecord実装であるactiverecord.jsがmigrationに対応しているそうなので、それを見ながらのんびりやった方がよさそうだなーと感じる次第である。

(ちなみにSQLite上でNoSQLするなら、mysql上のNoSQL実装であるRailsプラグインfriendlyを参考にするのが良さそうだった。)

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情を知る行為とavexの公式配信

この曲が非常に気に入っていたのだが、数年前まではその他の動画共有サイトでも、アップロードされていなかった。だが、今、確認してみたところ、Youtubeに存在した。サスペンス的な何かのエンディングテーマだということで、調べてみたら「土曜ワイド劇場」だったらしい。部分的ではなくフルに入っているので嬉しい限りだ。

実はこのyoutubeにアップロードされた曲(URL)はavexの公式配信である。違法アップロードの曲を見つけて喜んでいる、というわけではない。2008年10月24日よりエイベックスがYouTubeに公式チャンネルを開設し、このJOYという曲については2009年07月08日に公式にアップロードされたものだ。

youtubeの埋込みプレイヤーにも広告が表示されiTunesストアで購入に誘導しようとしているなど、過去の曲を販売したり、avexチャンネルに引き込んで今の曲をPRして買わせたりなどの流れを作ろうとしている。

話は変わるが、今年の1月1日にダウンロード違法化が施行されることが話題になった。著作権法改正により、ダウンロードにもある条件において違法性が加えられた。「ZIPでくれ」も危ない? ダウンロード違法化、どこまで合法かによると、

違法にアップロードされた音楽と映像について、その事実を知りながらダウンロードする行為が「私的使用のための複製」の範囲から除外され、違法となった。

と、している。「事実を知りながら」の文面は以前は「情を知って」という文面で検討をされていた。「事実を知りながら」とあるのは、それが違法アップロードである事実をどうやって判断するのかが難しいから追加されたと記憶されている。

実際のところ、先程の曲のURLのYoutubeのページを閲覧して、どの点から公式配信であるか判断してみよう。それは、youtubeにおいてユーザーアカウントがユニーク(一意)であり、avexが公式に「avexnetwork」というアカウント名で配信していることを知らなければ確認することはできない。avexnetworkのユーザーページを閲覧したとしても、少し腕の良い作者なら公式らしいページを作ることができるだろうと予想される。つまり、確認することは難しい。

今回の件では、Youtubeがストリーミングを行うサービスであり、(公式には)ダウンロードサービスではない(と主張している)から問題とはならない。が、ダウンロードサービスが混在するような環境で公式配信を行われるようなケースが出てくると、もはや判断のしようがない。また、Youtubeからストリーミングではなく、公式配信に対してもダウンロード行為を行った場合にどうなるのか、その場合もよく分からない。そう考えると、「事実を知りながら」の文面はなかなか厄介なものである。

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予約投稿をしてみた分かった3つの知見

予約投稿はむずがゆい。

iPad の発表に際して、関連する記事を書き、それを分割して公開することを行った。書き下ろした記事の内容はともかく、量がひどかったので分割することを思いついた。一回に多くの文章を読まされるのは嫌だったからだ。

その結果、いくつかの知見を得た。

1つは話題が長続きすることだ。ある程度の記事を毎日見るということは、一行の広告を毎日みるという行為に対して、読むための労力を必要とする。そして次の記事が出るまでに、考える時間がある。その各個人が考える時間が有意義で、別の経験を与えているのではないか、という仮説だ。

類似の現象として、TVドラマシリーズやアニメシリーズが週に一回放送されること、学校教育において授業が週ごとに分割して配置されることなどがある。例えば、短期集中で放送、教育してしまえばよいのに、そうしない理由に関係していると考えている。

もう1つは、むずがゆいという点だ。重要だと考える点が後半に存在するときに、前半記事の内容の議論をすることはむずがゆい。書いた記事が1週間後、1ヶ月後に公開されるようなタイプの執筆者は、どんな気持ちなんだろうなぁ、と思ったり。その点、新聞は毎日でるのだから、画期的だったんだなぁ、と。

という記事を1月31日に書きましたよ、と。

で、もう1つは、公開されるまでに書き直すことができる点だ。一晩経って印象が変わった、という経験が、文章、絵画、音楽などの創作的な活動を行った場合にないだろうか。時間をおくことによって、自身の作った作品を客観的に見ることができる。その客観的な判断で、修正を加えることができれば、さらに良くなる。そういった利点がある。

と2月1日時点で追記しましたよ、と。

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iPad、利用者の知性を問うデバイス

iPadというデバイスは利用する・導入する人の知性が試される。使いたいシーンありきの製品なのだ。例えば、料理中にレシピを見たり、数百の楽譜を持ち歩いて譜面台に載せたり、あるいはショッピングセンターのカートに取り付けて会場案内に利用するのもいいし、居酒屋で注文システムに用いてもいい。そういった知性を問われるデバイスであり、シーンが浮かばない人は買わない・買わせないように環境を整える。そうした美学の塊なのである。

このため本稿では、リテラシーが低い人のための製品という位置づけよりも、知性的で利用シーンを作り出せる人が買うべきものだと位置づける。もちらん、リテラシーが低い人の中にも知性的であるケースはある。(両親、祖父母に写真を見せたいという用途であれば、ソフトバンクのデジタルフォトフレームを利用する方がメールを送信するだけで写真を追加できるので適している場合がある。)

iPadから滲み出るこうした美学は、中途半端な製品を手渡して何にも使えず捨てられていく体験をさせたくがないために、の心の上に成り立っている。Macの、Appleの、そしてジョブズのDNAを受けつぐiPadとは、そのようなものなのである。よって、批判のないApple製品は、Apple製品ではない。何かを得るためには何かを切り捨てなければならない。そうした誰にも出来ない切り捨てが行われる製品こそが、Apple製品なのである。

Macユーザーの創造性とはなにか、ゼロベースでの本当に人のことを考えたものづくりとは何かを考えることは、「iPad」を学べ、「Apple」を学べに尽きるのである。そうした知性を問われるデバイスが—「iPad」なのである。

–終わり

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iPadの審美眼、アプリケーション

iPadの特徴的な利用シーンのもう1点はアプリケーションだ。しかし単なるアプリケーションを想像してはいけない。マルチタッチ対応の素晴らしく統一されたユーザーインターフェースを持つ、9.7インチディスプレイの世界で繰り広げられる知的行為のことだ。この世界にiPhone, iPad以前のレガシーを持たず、作らず、持ち込ませず。そうすることで利用者は混乱なく、タッチの世界を堪能することができる。

iPhoneを始めとして、このシリーズの素晴らしい点はレガシーを持ち込まなかった点だ。その失敗例はWindows Mobileだ。Windowsと同じ利用方法、例えばウィンドウシステムであったり、マルチタスクであったりをWindows Mobileは持ち込んだ。それがどうなっただろうか。PCのWindowsと同様のウィンドウシステムは快適だっただろうか。バックグラウンドで何かが動き、今、前面にあるアプリケーションの動作を阻害されたらどうだろうか。使っていないアプリケーションにバッテリー時間を消費されてしまったらどうだろうか。既存のアプリケーションの手法は、iPhone世代のマルチタッチ、画面遷移に対応しているだろうか。この点からも、iPadにMac OSが入っていない点を批判することは、新しく定義されたiPhone世界を否定することに他ならない。

この新しい世界を切り開く開拓者たちは、選別され、そして優遇される。まず、この世界観を理解できる開発者は、当然のことながら、今までMacを使ってきたユーザーだ。Macを使ってきたということは、Appleの考える優れたユーザーインターフェースに常に触れており、その他の住人よりもiPhone世界の理解者になり得る。何よりもクリエイティブで、形にこだわらない。感受性が強い。価値観が固まってしまっている開発者を引き込んでも、それはお互いに悪夢にしかならない。

彼らが創りだすのは、ゼロベースで考えられた、タッチの世界のアプリケーションだ。iPhoneの世界の標準ではマルチタッチ対応のタッチパネル、マイク、スピーカー、素晴らしいユーザーインターフェース基準、Wi-Fi、そしてOpenGLが全てに搭載される。iPhoneとiPod touchの解像度は統一され、開発時に問題とはならない。さらにシングルタスクであることによって、今、目の前にあるアプリケーションに集中できる環境が与えられる。これらの芳醇な環境下で、何を体験させるかを創りだすのがMacのクリエイティブたちである。直感的で、今までになく、それでいて楽しい、そんなものにお金を払って幸せだと感じるユーザーを集めている。

さて、ここに9.7インチの美しい影響を持つ、iPadが発表された。

この上で何をしようか、開発者としては心が高なる瞬間であり、ユーザーとしては彼ら開発者が何を魅せてくれるのか胸が熱くなるのではなかろうか。その開発手法はiPhoneと同じ。そしてiPhoneアプリでさえも動作する。Flashというレガシーな環境はそこにない。アプリケーションを作って売れる場所が保証されて、そこにある。つまり、開発者としての新しい苦労は、この9.7インチ上で何をするかについて苦心して考えることなのだ。このデバイスで誰が不幸せになるというのだろうか。

このクリエイティブには遊びも含まれる。遊びの延長線にあるのは壮大な物語を持ちながらも直感的なゲーム、いや、エンターテイメントである。人を豊かにする学習端末にも成り得る。そんな無限な可能性を外敵を排除したappストアとその開発者たちが秘めている。

これが、もう1つの変身を残している理由である。

–次回(翌日)は「iPad、利用者の知性を問うデバイス」

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