「次世代」は幻想か:NGNは情報通信革命のジャンヌダルクではないという記事において、NGNの真の姿について伝えられている。
NGNの分かりにくさは、不確定要素の多い「広義のNGN」についての議論が中心に展開される点に問題がある。
この発言が今日のNGNの全てである。
氏の記事内にも記述があるが、NTTがNGNを選択した要因は、「既存の交換機システムの保守コスト>オールIP化されたシステム」となるからであり、この時点でIP化をしておけば保守コストが安価になるからに他ならない。そして電話Likeな品質を保証する、品質保証で課金をしやすくする、このために基盤も一緒に整えるところまでやりましょう、というのがNGNの範囲である。
自分自身もNGNが出たときには「何か新しいことができるようになる」と思っていた。そして「NGNでなければできないことをアピールしなければならない」と思っていた。それはNGNとは別のフレームワークで既存のインターネットと含めて議論するべき話と気づいたのは最近になってからだった。
NGNは単にコストを下げるものだったはずなのに、何か新しいことをするためのシステムと曲解してしまった原因はなんだったのか、NGNが出た当時のあの頃にさかのぼってみるが、よく分からない。
1つ、仮説があって、IP化に過度の期待をしてしまったのは、NTTではなく、メディア(日経)なのではないか、と睨んでいる。今となっては分からない。
NGNの誇大妄想を広げたのは誰か への2件のフィードバック