久多良木さんを懐古する

これがプレステ2だ!―SCE久多良木健氏インタビュー―

TalismanとかVoodooとかPowerVRとか、要するにテクニックだよね。

マニアだなー。VoodooとPowerVRは買ったなー。

でも、その次(PS3)はもうそれではできなくなるよね。PS2のCPUはMIPSをモディファイしたものだけど、本質的にはもうMIPSコアでなくてもいい(笑)。でも、どう眺めても一部にVLIW*1を使おうがSIMD(拡張マルチメディア命令)を使おうが、今のコンピュータ・サイエンスのいいところをけっこうおいしく使ってる。この次はガラっと変わります。

マニアだなー。

ただ、ぼくが危険だなと思うのは、(われわれは)リアルということを追ってないのであって、それは各コンテンツを作る人の意識の問題であって、何かやろうというときに、自分が表現しやすいかしやすくないかというだけの話なんです。

このメッセージがあることに驚き。本文中でもポリゴンの数は関係なくて、クリエイターが表現しやすいかどうかを念頭に考えている。それが開発環境に落とし込まれたかどうかは別として。

もっとも驚いたのは、ファミコンをやってるときに、サウンドトラックが4本しかありませんと、音のディレイもありませんと、それで音楽を表現しないといけないと。そんなもんで音楽なんてやれませんよね。ところが、その狭い世界でもある種の“美学”があってね、こうやればこう鳴りますと。それも確かに音楽だよね。それをぼくは否定しないんだけども、だけど一般の人、普通の人はそれで感動するかというと、ぼくは感動しないと思う。

この発言でファミコンな方々は激怒なされた、と。どちらも言いたいことは分かるんだよね。ファミコンというチープな音源でもそういう”世界”は広げられるし、感動はできる。でも世のクリエイターすべてがそうではなくて、人によっては表現しやすいPCMな音を使いたい、ということを言いたかったのだと思う。そういう人はファミコンの音では満足できない、感動できないのだから、と。FF7やDDR、ビートマニアからつながる発言…だと推測される。

つまり、極端な話、ゲームソフトを作らなくてもゲームマシンを触りたい人はいるわけだ。そういった人たちに対して従来は技術情報やツールを出していない。もしくは、いじっちゃいけないとかね、そんなことしていいのかと思う。

この考えは楽しいと思う。この先のPS2,3のLinuxにつながっていった想い。

僕が思うのは、ヨーロッパでパソコンでゲーム開発をやっている人たちは、力量はあるんだけど、パソコンが与えられた環境だと思っていて、ギミックに走りやすい。パソコンはこれだけのパワーしかない、だけど自分のプログラミング能力でこれだけのことができるという提示の仕方なんだね。だからPS2のような広大なキャンバスを提示されると戸惑ってしまう。プログラミング技術という点では凄い人がいるけども、それがコンテンツに役に立ってるかというと、疑問だと思う。

コンテンツという出口まっしぐら。エンジニアとクリエイタの線引きを明確にしていて、エンジニアは限界を超えたギミックに走る人、クリエイタは表現に走る人と示しているように思える。そこでエンジニアがクリエイタに貢献しているか疑問を呈している。確かにそれはそうで、エンジニアが限界を超えられる環境を用意したとして、そこにクリエイターが魂をこめられるかどうかは別問題。でもナーシャ・ジベリのように噛み合った場合の効果はすごい。

だけど、5年間このPS2のハードでいきますから、たぶん中間の2年半ぐらいで使い尽くされ初めて、もっと複雑なものが作られてきて、5年後にはその時点で無茶苦茶に重いものがハードウェアでサポートされていくことになると思う。クリエイターがほんとにやりたいのは今のハードウェアで処理できることじゃないはずなんだよね。

つまり3Dゲームファンのための「ワンダと巨像」グラフィックス講座となることを予見していた、と。

――1394とかUSBを付けた意図は?

A あれは標準インターフェイスだから付けただけで、間違ってもUSBがあるからキーボードやマウスが繋がるとかWebブラウザを動かすとかぜんぜんぼくは考えていない。そもそもHTMLなんていう文字文化は20世紀で葬り去りたいと思っているわけ。HTMLとかブラウザはARPAnetとはまったく違う場で作られたものでしょ。それがあたかも一つのものであるかのように思われて、インターネットというとあれだと思われてること自体がおかしいと思う。

いいこと言うなぁ。HTML撲滅ですよ。

Q PS1のときに、久多良木さんが月刊アスキーのインタビューで、マルチメディアじゃないんだ、ゲームだと。マルチメディアだと言ってくれるなと、言ってましたよね。

A マルチメディア大嫌い(笑)。

え?

――PS2のような高品位なグラフィックスを扱うにはテレビでは不十分ではありませんか。

A そうは思わない。テレビで連ドラ見てても映画見てても不十分だと思う人はいないと思う。テレビはたかだか720×480ドット程度の解像度しかないのに、なんでパソコンのVGAとあれだけ表現力が違うかというと、やってることがぜんぜん違うから。そこを議論しないでテレビは解像度が低いだの、インターレースだのと言ってること自体がパラダイム的にナンセンスだと思う。

え?

Q 下位互換性をとるかどうかの議論はなかったんですか。

A 初めから決まってたから議論にさえならなかった。

Q 普通はゲーム機では下位互換性とらないですね。

A それは2つ理由がある。一つはマーケティング的にセグメンテーションしたいということ。もう一つは技術的にできないから。ぼくらはマーケティング的に考えたら絶対とるべきだと考えたわけ。アメリカに限らずソフトの継続性というのは流通レベルでも必要だし、ソフトを作っている人も、市場に出せるのは1年後とか2年後だから、安心できる。ユーザーにとっても宝であり、いっぱいの思い出もあるのでもちろん必要なんですよ。

素晴らしい。ソフトを作っている人も、市場に出せるのは1年後とか2年後っていうのは確かだ。

だからって高くするっていう意味じゃなくて、ヴァリューということを考えたときに、PS2が出たときに最初の100万人がいくらで買うかという問題、それと5年間でどれだけ値段を下げるかというぼくらの側の強い意思がある。たとえば最初1万円でスタートしたら、価格弾力性モデルでいくと、最後に2000円とか3000円で売れるかというと、できない。じゃぁ最初10万円でやったら、最後の着地点の価格はいくらか。3万9800円でPS1をスタートして、今 1万5000円だけど、1/3ぐらいにもっていければ3×3=9で10倍売れるとかって考えるわけ。

計算してますな。

なんというか、面白い人だったんだなーっと。当時、顔はユーザやエンジニアよりもクリエイターの方を向いていて、クリエイターが面白いものを作ればユーザはついて来るよね、という発想だったんじゃないかと。で、エンジニアとして困難を「面白いよねー」というノリで楽しんでしまう。

PS2の時にもここまで考えていたんだな、と。配信プラットフォームに関連して、大いに勉強になった。

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