昔、A列車で行こう3というゲームをPCでプレイした。
そのころ、画期的なソフトウェア販売システムであるTAKERUが上新電機のソフト売り場に置かれており、それを利用して手に入れた。ソフトベンダーTAKERUは当時としてはパソコン通信の溝を埋める重要な役割を果たしており、フロッピーを入れるとソフトを書き込んでくれるという謎の機械であった。つまりPCソフトの自動販売機。かつ、フロッピーに対するプロテクトもしっかりやっていた。ちゃんと説明書も印刷されて出てきた。
今となって知ったが、TAKERUは通信を利用してソフトのデータを取得しており、それはJOYSOUNDと同一のサーバを用いたのだとか。昼はソフト販売、夜はカラオケ。なんて効率的!TAKERUは通信カラオケの元になったんですな(注)。また当時としては同人ソフトを取り扱う存在として珍しかった。
TAKERUが廃止されて久しいが、現在でもその技術は証明書自動発行機として生きているという。
画期的な取り組みは時代に対して早すぎるという点において不遇な目に会うことがある。だが、その画期的な取り組みが完全に無駄になることはあろうか。TAKERUは失敗に終わったが、JOYSOUND、証明書自動発行機の技術はTAKERUを踏み台にしている。その試みが画期的であればこそ、たとえ失敗に終わっても骨は残る。
ソフトウェアの超流通の概念はTAKERUに叩き込まれた。課金、説明書、メディアへの書き込み、どれをとっても画期的だった。
そんなことをyoutubeのA列車で行こう7の動画を見ながら思った。