世の中にはビデオデッキは1台しか必要ない

という釣りタイトルが浮かんだので書いてみた。

家の中に何台ものHDDレコーダが転がっており、そのうちのいくつかはアナログ放送向けであり、デジタル放送向けは1台しか存在しない。これらのネットワーク機能は脆弱であり、家庭内LAN配信でさえストレスを感じるつくりになっており、そのためネットワーク利用はしていない。

個人的に最もやりやすい方法がLinuxサーバで録画するシステムを構築することだが、持っていたチューナーカードもどこかにいってしまったし、Friioで録画するのも気が引ける。最近はLinuxで録画が簡単にできるソフトウェアができているようだが、たいして興味もない。興味がないのは、動画共有サイトで見てしまえばいいやと思っているからだろうなのか。

ネットワークの帯域幅が十分に大きくなりYoutubeのような映像配信が上手くいくこの時代、ビデオデッキは各世帯に必要はない。動画共有サイトの仕組みのように動画はネットワーク配信できるし、そのようなサイトが共同受信してしまえばいいからだ。そのような仕組みができない理由を考えると、地方局だったり、家電メーカーだったり、電波免許制だったりの顔がちらちら思い浮かぶ。

この手の構造を破壊するのは、完全にネット上の放送局を作り、上手く放映していくことが上策だが、Gyaoはソフトバンクに身売りをしているし、上手くいくような事業ではないのかもしれない。結論としては日本とのステークホルダーを持たず資金源を持つ組織が日本に入り込んでくることが上策で、米国で急成長中の「Hulu」上陸!?日本でテレビ番組の無料配信が進まない理由という記事にあるとおり、Huluが日本に入って動画共有サイトのみならず、無料ネット放送も米国主導になっていくという流れが素直な道なのかもしれない。(あ、第2日本放送のことをすっかり忘れていた!)

有料ネット放送ではひかりTVが既存の衛星を食っているようないないような感覚を出しているが、将来、割を食うのはレンタルサービス系だろうと思える。

コンテンツの力にそれほど頼らずに外部とのコミュニケーションを組み合わせることで新しい面白さを生み出そうという流れで云えば、テレビを通したコミュニケーション「おしゃべりテレビ」という記事を書いてこのサイトのdiff,shareの意味を語ったりした。ニコニコ動画もそのサービスを提供していくようだ。テレビや野球にコメントできる「ニコニコ実況」ベータ版に書かれている通り、自身が想像していたのは後者のニコニコ動画版であり、PC上のテレビの枠上に配置するものだった。

当時はLinuxサーバなどによる家庭内TV配信が2009年頃には実用化されており、家庭内PCで番組を見ることが普通という世の中になっているという読みであり、それにコミュニケーションをつけるのであれば著作権等の問題はないだろうということだった。しかし現在は家庭内TV配信など普及はしておらず、むしろそちらの考察を続けるべきであったかと考えたりもしている。特にDLNAの元気がないように思えるのだが、Windows 7にDLNAが標準搭載されるので状況は変わるかもしれない。

むしろ最近の自分の考えでは、「テレビを積極的メディアにする」よりは「PCを受動的メディアにする」ことの方が面白いような直感を感じている。これについてはテレビの未来、画面エンターテイメントの未来についてで書いた。

今でもテレビを観ている層に着目をするのではなく、何か新しくて面白いものを常に探していて壁を感じず抵抗がない若い層に対してPCとそれに付随するコンテンツが面白いということを伝えることの方が前向きだしきっと楽しい。ニコニコ動画が動画の見方に新しく提案をしたように、音楽の聞き方、演奏の仕方、絵の見方・書き方、漫画の見方・書き方、全てにおいて新しい手法の平原は広がっており、提案され尽くされなどしていない。そのような新しい手法に入ってくる、賛同するのはいつだって若者だ。今まで誰を見ていたのだという気がする。

ということで、結論としては、なんで世帯にビデオデッキ置かなきゃならないんだ、誰かが共同受信してネットワークでうちまで配信してくれる仕組みがどうして作れないんだ、法律が悪いのか?ステークホルダーが悪いのか?ということを今日、思った。

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