最近、禅に興味がある。
興味がある点は、その学び方だ。
仏教のもっとも大事だとする点は「人の苦しみを取り除く」ことであると思っている。手塚治虫の漫画によると。その中でも禅、特に日本の禅は、少し違うと感じている。
坐禅という言葉があるとおり、禅の学びかたは坐禅にあるとし、精神と肉体の一致をはかり、何事にも動じないこと、自身の中の仏性を見出すことに打ち込む。つまり、答えは自分の中にあるとする。例えば「達磨(ダルマ)」というものがあるが、それは何があっても動じずに座る。尊いとしている。
他の仏教では、仏典などの文字情報から意味を引き出し、悟りを開くことに打ち込む。つまり、仏陀の周りに残る確かな情報をヒントにする。
この2つの方法の方針は、「仏陀と同じこと(瞑想)をすれば仏陀にたどりつける」、「仏陀の周りに残る情報を集めていけば仏陀にたどりつける」ということになると、自身では解釈している。
つまり、理論と実践ではないか、ということだ。
日本の禅の中の曹洞宗開祖である道元氏(鎌倉時代)は、「ただひたすらに坐ることを重視」している。しかし、彼自身はかなり仏典から勉強をしている点、しかも中国にわたって勉強をしている点からしても、それは理論を勉強しつくした人間がたどり着く境地がそこにあるのではないか、とも受け取ることができる。
この2つの手法の結果がどのように出ているのか知りたいところだが、それは困難そうなので、分かる人にいつか教えてもらおうと思う。