「小手先のテクニックよりも本質を学びなさい」という言葉がある。
小手先のテクニック、例えば”年功序列の廃止と成果報酬型”だったり、早寝早起きだったり、様々なものがある。
この言葉はむしろ、職人と弟子との間で使われるものかもしれない。人の真似ばかりせずに、自分らしいやり方を見つけなさいという意味と解釈している。
しかしながら、自分らしさとは何かを始めから考えてしまうと、自分の出来ること、自分の本来の強みが分からないまま、固定観念で自分らしさを見つけてしまう。客観的な評価ではないかもしれない。
やはり、そんなとき、小手先のテクニックからその世界に入った方が、テクニックから本質にたどり着こうとする性格にとっては良い手法なのかもしれない、と思ったりする。特に、「その小手先テクニック、すごい!ワクワクする!」といった心の高揚を感じる場合は迷わず小手先テクニックに走る。
こうしているうちに本質が見えてくると、小手先テクニックが陳腐化して見えてきてしまう。だから、その時点では「小手先のテクニックよりも本質を学びなさい」という賢者モードで言葉が出てきてしまうのかもしれない。
ともかく言いたいことは、人生には、誰もやっていないこと、誰もやりたがらないこと、誰も経験していないこと、誰も解決していないこと、があって、その作業に取り組もうとする場合、失敗する可能性は高い。この事実が基本であることを胸に留める。
そして、その失敗から何を学べたかを自己反省して自分のものにしていくことによって、自己進化(自律進化)していける、のだろうと最近考えている。
時代は流れているのだから、過去の言葉が絶対に正しいということはありえない。しかしながら、過去の言葉が正しいことは多いのだから、調べることを怠ってはならない。過去の言葉が正しいかどうかを検証するために、失敗するだろう方法を取る。
その道を歩ませたくない(自分の経験・出した結論に絶対の自信がある)から、失敗の道を歩む必要のない人間に対しては「小手先のテクニックよりも本質を学びなさい」という言葉は意味があるのだろう。
と、意味の分からない記事を書いてみる。