削るとは何か、を考えている

「削る」という言葉と行為は魅惑的であこがれるが、実践しようとすると難しい。心の中の保守派が押し寄せてくる。これは工場改革や経営コンサルタントが日々経験している現場の声というものだろうか。

「削る」を日々考えている。

小飼弾のアルファギークに逢いたい♥:#8 達人プログラマー Dave Thomas(後編) 「ソフトウェアエンジニア」という言葉は嘘|gihyo.jp … 技術評論社

Dave:ソフトウェアエンジニアというものはありません。少なくともまだないです。どういうことかというと,これ以上削れないところまで削るのがエンジニアリング。これ以上削れないところまで削るということは,どこまで削るとそれが壊れてしまうかというのがわかっていることです。まだソフトウェアに関しては我々はそのレベルには達してないんです。達してないから,まだソフトウェアエンジニアという言葉というのは嘘である。

マイナスのデザイン、ウォークマン、それらのものを前提として、この言葉「これ以上削れないところまで削るのがエンジニアリング」に出会ってから、ずっと、削るという行為は何なのかを考えてきた。

こうして文章を書きながらも、文章的に不要な箇所は何処か、考えさせられる。

削る理由にはどのような物があるだろうか。

1.多くの人がそれを使わないだろう(利益が上がらない)予測があるので、作らない。

作らない、ということは開発しないということであり、開発分のコストが必要なくなる。作っても価値をもたらさないことが神の視点から分かるのであれば、作ることは無価値である。例えばゼミで教科書を使って教えるときに、この技術は知っておいたほうが良いけれど、将来かかわる確率は低いと判断したら、その章を飛ばすような感じ。

ただし、その行為がチャレンジングなものであったり、その経験をすることによって成長できる可能性があったりするのであれば、無価値ではない。そもそも厳密な意味で無価値なものというものは作りにくいし、大きな意味で捉えれば、全ての類似品は無価値だ(例えばGoogle以外の検索エンジンのように)。

2.その機能の利用方法を勘違いしてしまう可能性があるから作らない。

提供されている機能が多ければ多いほど、利用者は多種多様な使い方をする。例えば、そこに机がある。その机の使い方は人それぞれだ。そして各人は、自分の机の使い方が、自分にとって最も適した使い方だと信じている。

この考え方は工場ではマイナスだ。工場の場合、最も効率の良い人の作業をマニュアル化し、全ての人に押し付ける方が良い。平準化と呼ばれることもある。そして、各人がその標準化された動作をすることで平均的な生産能力を生み出せる。各人の意義は何処にあるのかとの問いには、標準化+αのために必要なのだという考えだ。

よって、ある程度、選択肢を絞って統率された方が良い場合もある。

ニコニコ動画 開発者ブログ(新着情報)のニコニコ動画の開発話にもある

また、字幕をつけたりニュース速報とか、地震速報ごっこができるように画面の上下にコメントを固定表示できる機能もつけました。

このあたりはわりあい最初からつくっていたのですが、実際にサービスとしては、基本機能にユーザが慣れたあとに、どんどん機能追加されていくほうがユーザが定着しやすいというひろゆき氏の意見があり、小出しにリリースしていくことになりました。

のくだりも重要だという意識があり、そのような結論に至った。

3.その機能があることで他の機能に影響を与えてしまうので作らない。

その機能を付け足すことで、動作が重くなったり、質が悪くなったりする可能性がある。逆に取り除くことで、それ以外の能力が見違えるように良くなることもあるし、別の可能性が見えてくることもある。

Sony Japan|Walkmanの初代ウォークマン開発秘話にあるくだりで、井深氏が開発陣に録音機能を取り除いたプレスマンの音を聞いたときの言葉、

例の改造版プレスマンを手に取り、言われるままにヘッドホンを付けると、「ほー、小さいくせに良い音が出るじゃないか。そうだよ、本当に良い音を聴くには無駄なく音を再現するヘッドホンがいいんだよなあ」と嬉しそうに言った。1952年にアメリカのオーディオフェア会場で、初めて「バイノーラル録音(人間の両耳間隔にマイクを離して設置して、音を立体録音する方式)」をヘッドホンで聴いた時に覚えた感動が、井深の中に蘇っていた。

とは、まさにそのようなことではなかろうか(もしかしたらヘッドホンの方を褒めているのかもしれないが)。

ソフトウェアの場合、機能追加による速度低下は顕著であり、バージョンが上がるごとに便利になるが、全体的には不満がたまってくる場合も少なくない。航空機の時代における大艦巨砲主義のようなイメージである。

まさにこのような逆転現象こそが、イノベーションの1つの手法につながり得るのではないか、と日々試行錯誤している。

企画者と開発者の関係についても考えさせられる。

開発者が機能追加を考え、企画者が機能を削るのか。企画者が機能追加を考え、開発者が削るのか。もしくはそれらが並列に行われるべきか。

現状では自分が開発側に回っているが、企画者の機能追加の要求を削る作業に没頭している。自分のイメージとしては本来は逆で開発者が増やし、企画者が企画(イメージ)する用途に合わせて削る、という方式がいいのではないか、と考えている。

現状では、そのレベルに達していないので、出来ていない。企画者が、何という機能を増やすために開発者がどれだけのコストで出来るのか試算できない、という状況だからである。

今までは自分が企画者側に回っていた。しかし、やはり、自分で作りたいものは自分で作るに限る、ということがだんだんわかってきた。自分で機能を足して自分で機能を削る、その繰り返しである。

削る手法。

ここまでは削り方の理由を考えてきた。削るにも色々な手法がある。

1.企画時点で10のものを考え、1に絞り開発する方法。
2.企画時点の10のものをとりあえず開発し、使ってみて1に絞り他の機能は捨てる方法。

1.はコストは安いが、チャレンジャーであるかどうかは疑問だ。使ってみなければ分からないものもある。

2.は打率はいいが、開発コストと開発者のモチベーションの維持が大変だ。作ったものが採用されないことほど開発者にとって悲しいものはない。だが、この悲しさもデザインの世界ではコンペ方式で当然のものだ。かける労力も同程度だろう。

モノづくりをする人として。

よく分からない展開になってきたので、「Mr.ウォークマン」と呼ばれている黒木 靖夫氏の談話で締めくくりたい。
黒木靖夫事務所 代表 黒木靖夫 氏 (イノベーティブワン)

黒木   いや、私自身の発想が古くなったということです。それから、皆さん、消費者、消費者と言って、消費者第一で考えますけど、私は、誤解を恐れずに言えば、消費者は愚者だと考えているんです。消費者は愚かなんだと。私を含めてね。だから、自省の意味をこめて、「モノづくりをする人が、ちゃんとした見識を持たなければならない」といろんな場面で訴えているんです。

「モノづくりをする人が、ちゃんとした見識を持たなければならない」。このエントリの都合の良いように解釈すれば、”利用者は愚者であるから、使い方は開発者(企画者)が道しるべを示すべきであり、示せるだけの見識が必要だ”と、受けとれる。

そして

黒木   そうですね。ウォークマンは、商品にしようとして考えられたものではなく、若いエンジニアが自分で遊ぶためにつくったものですからね。それを、我々が素直に面白いと思い、創業者である井深(大)さんや盛田(昭夫)さんを巻き込んで製品化に結び付けていった。まさに、いまでいうプロシューマーの走りですよね。だから、商品自体に力があったし、消費者のライフスタイルを変えるイノベーションに結びついたんです。

その面白いと思ったことを続けられる、経営的な知識が必要だ。

追記:
【最期の教え】黒木 靖夫氏・ウォークマン流ブランド構築術 – 技術経営戦略考 – Tech-On!

「売れなかったけどデザインは良かったなどと評論家はいうけど、あり得ない。売れなかったのは、デザインが悪かったからだ」

「色やかたちを整えることをデザインだと思い込んでいる人たちがいる。それは、とんでもない間違い。それは、単なるコスメティック・デザインであって、デザインの本質ではない」

「技術者の人たちが自分たちの殻から出てこないから、仕方なくデザイナーたちに技術を学ばせて、こちらから押しかけている。けれど、それが理想解ではない。デザインの領域にどんどん踏み込んできてくれる技術者が沢山現れることを本当は望んでいる」。

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