自動化と効率化

人は口で経験を伝える。他者の追体験を自分が体験しなくても、どうなるのか分かるようになった。口伝で教える仕事が生まれた。

口で教えていたが、一人ひとりに時間を合わせて場所を合わせて、話すのは難しい。そこで文字を使って伝えることにした。口で伝えたものを複製するには覚える必要があったが、文字はその必要性をなくした。その代わりに文字を知らなければ読めないという制限があった。

はじめは石に彫って伝えていたが、やがて、紙というものが発明され、利用されるようになった。顔を合わせて話をしないと信頼できないという声もあったが、筆跡で信頼するようにした。筆跡を鑑定する仕事が生まれた。

紙を閉じたものを本とした。本は一人ひとりが書き写して複製され、多くの人が読めるようになった。言語の問題はあったが、誰かが訳してくれた。書き写したり、訳したりする仕事が生まれた。

やがて、より多くの本を作成するために、活版印刷という技術が発明された。印刷機の製造やメンテナンスをする技師の仕事が生まれた。本を書き写す人の仕事はどうなったのだろうか。

口で教える仕事はまだ残っていた。電話の発明によって、地理的な要因を飛び越えられるようになった。当初の電話は交換手と呼ばれる、回線と回線をつなぐ作業員が必要であり、交換手という仕事が生まれた。しかし、やがて自動化され、必要としなくなった。しかし、1対1でしか伝えられなかった。有線の工事も必要だった。

毎回、口で教えるのは大変だ、ということで、録音が生まれた。レコードやテープに録音された情報は、口で話す作業から開放した。

やがて無線通信の発達により、ラジオなるものが生まれた。有線で接続する必要がなく、同時に多くの人へ、経験を伝えることができるようになった。

一方、本はコンピュータの発明によって、電子化された。インターネットを通じて経験は瞬く間に共有されるようになった。コンピュータを作る仕事が生まれた。複製のコストは限りなく小さいため、インターネットに接続する全ての人が簡単に経験を発信して、受信できるようになった。

この文章も、そうした歴史を経て、伝えられている。

交換手だった人々はどうなったのだろうか分からないが、口で教える仕事は残っている。写本をしていた人々はどうなったのどうか分からないが、翻訳をする仕事は残っている。そうした、時代ごとの浮き沈みのやるせなさを感じる。

最近、この種の自動化が人の仕事を奪い悲しい、という感覚を感じていて、時代に冷遇された今までの人はどうなったのだろうと思うときがある。自動化は人を仕事から解放したように見えるが、考えてみると自動化を主有した人が人を雇用することから開放されたようにも見える。そうした効率化されたものは多くの人により安価に提供され便利になる。

対して、仕事から開放された人は自動化の恩恵を受けているのだろうか。自動化による人が働かなくてもよい世界は、まだやってきていない。

それでも絶えず自動化していかなければならない。自動化され、効率化されれば、経験は瞬く間に広がっていく。その経験を種に、さらに自動化していかなければならない。自動化を持たなければ、束縛している何かから開放されないのだから。

でも、その自動化の先に、何があるのだろうなぁ、とふと思った。

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