iPadを買って後悔している人は存在するのではないか、と思うところがある。彼ら(彼女ら)は、5万円もの製品を購入した手前、テレビやその他メディアで絶賛されている手前、おおぴらには口に出さない、出せないだろうが。
ただし、この考えの論理はいくつかの点で崩れている、また確信を持ったものではない。
そう思うようになったきっかけは、AppleのiPadと任天堂のDSにおいて、「これが欲しい」と思うようなポイントがかなり似通っていると感じた点からだ。
任天堂のDSの出発点は、コアゲーマーよりもカジュアルユーザー、ライトユーザーである女性(主婦・高齢者)の取り込みであり、結果的に彼らを通して若年層へのゲーム機の継承が行われたものと感じている。DSにおいて女性層を取り込むに十分だった理由は、「脳トレ」を始めとした知育ゲーム、「どうぶつ」系ゲームだったと記憶している。「これなら私にも扱える」という感覚を与えた。CMによる松嶋菜々子氏の起用もうまくいっていた。
妄想だが、その後、彼らがDSソフトを続けて購入しているとは思えない。つまり、一人当たりの購入数は少ないと思っている。しかしながら、そのDSは眠らず、子供や友人に手渡され、彼らによってソフト購入に導かれたのではないか、と考えている。
今回のiPadに話を戻すと、そうしたライトユーザー層に「これなら私でも使える」という感覚を与えることに成功しているように思える。しかしながら、DSにおいて「脳トレ」のように、そのハードウェアの上で何を提供するのか、のコンテンツ群が満足できるほど足りていないように思える。電子書籍は数ページしか立ち読みできないものばかり、アプリも彼らにとって素敵だと思えるようなものは見つからない。彼らのようなライトユーザーは自分で書籍をスキャンすることもないだろう。また、この板をモバイルのように持ち歩くなど、とんでもない!
そう考えていくと、ブラウザとしての存在、「サイゾーウーマン」と「クックパッド」を見るためだけに存在する端末…になってしまうのではなかろうか、と。それ以外の使い方はできるけれど、じゃぁそれはiPadの必要があるのかな、と。(shufoo!も今後に期待できるけれど現在はガッカリな状況)
このことから、iPadを買って実は後悔しているライトユーザー層は存在しているのではないか、との思いに至った。彼らは”買ってもらった手前”、絶対に自分から後悔したとは言わないだろう。
とはいえ、ウィルコム社のW-ZERO3 es を、嬉々として所有する女性ライトユーザー層も多かったような見覚えがある。インターネットできる、ということはそれだけに価値のあること。となると、電源を入れてから2,3秒でWebブラウザが起動するのでストレスのないiPadは、意外と後悔はしないものかもしれない。
ところで、任天堂のサイトはFlashだらけなんだけど、これが日本のライトユーザーの真意ということでよろしいのですかいね。
#
E3ではNINTENDO 3DSが発表されたようだ。iPhoneこそDSと同じくタッチパネルで、スタイラスを否定して指こそが至高のインターフェースとしたが、現在の任天堂は3Dによって新たな体験をユーザーに与えようとしている。Appleより一歩、先を行っている。
ただ少し心配なのは、3DSがこれまでのライトユーザー層に魅力的に映るかどうか、また3DSならではのライトユーザー殺しのキラーコンテンツが登場するのかについて、だ。3DSで魅力的なライトユーザー殺しが思いつかない。しかし、彼ら任天堂なら、既に案はあるのだろう。気になるところだ。