言われて実行するとはどういうことか

「人の話すことを素直に聞き、実行する子は伸びる」という話を聞いた。「素直に聞かず、自分流の何かを付け加えようとする。そして、変なクセがついてしまう」。

自己評価では変なクセをつけてしまうタイプだと思っている。よって変なクセをつけてしまう性格だからこそ、”人の話すことを素直に聞く”ということはどういうことなのかが見えてくる。言われたことを素直に実行する行為とは、どのようなものなのか。考えていこう。

これには3つの場合があると考えた。発言者が信頼されているケース発言者が強権を持つケース、そして言われたことを理解しているケースだ。ここでは話をする「発言者」と話を聞く「実行者」という言葉で語る。

発言者が信頼されているケース

発言者が実行者から信頼されている場合、盲目に作業を行う。発言者には過去の経験や実績、もしくは神秘的なパワーやカリスマが宿っているのかもしれない。実行者は発言者の発言を集中して聞く。理解できなくても実行する。ある意味、熱血コーチと競技者のそれ(はじめの一歩)に近いかもしれないし、宗教組織のそれに近いかもしれない。

発言者が強権を持つケース

上意下達の現場では、上位者は絶対だ。逆らうものなら、飛ばされる。弾き出される。強制されるし、矯正される。親のしつけとは(場合によっては)そのようなもので、仲良しチームのボスというのも、そのようなものだ。通常、それほど強い権限を行使されることはないと願いたい。しかし相手、もしくは自身の組織に絶対に良いことだと信じるのならば、強権の発動はあるのかもしれない。

言われたことを理解しているケース

本来的に望ましいのはこれだ。発言者はどのように相手に得なのかを説き、実行者は理解の上で行動する。ほどんどの場合、穏便な解決を図る。

しかし、必要な要件のハードルが高い。”発言者が実行者に理解できる言葉を発すること”、もしくは”実行者が発言者の意を汲むこと”が必要になる。実際に、発言者の言っている意味・意義が分からずに作業を投げたことを経験したり、見たりしたことがあるのではなかろうか。

素直に聞いて実行したりなんかしない

なぜ、素直に聞いて実行しないのか。その理由はこれまでに述べた通り、発言者は”信頼されておらず”、”強権を持たず”、そして発言者の”言っていることの意味が分からない”からだ。意味がわかったとしても、人間はそれほど素直じゃない。

素直に聞かないケースに対して発言者は不満に思う。信頼されていないことに傷つく。強権を持っていないと思われることに苛立ち、強権を発動して締めようとする。そして言葉が伝わらないことにジェネレーションギャップを感じたと呟く。そうした現場を見たことはないだろうか。

その責任は誰にあるのか。言っていることが変わって、何を言いたいのか分からない軸のないタイプは信頼されない。失敗を繰り返す人、成果を出せない人は信頼されない。最後には強権を振りかざして失敗する人は信頼されない。相手を考慮した発言ではなければ、理解はされない。相手にいかに得であるか伝わらなければ、意欲は湧かない。発言者に責任があることもある。

同時に実行者の側にも真剣さがないようにも見える。発言者を信頼しようとする努力もせず、発言者の強権がどのような構造の上に成り立っているのかも見ず、そして発言者の意図を汲み取ろうとする読解力も不足し、集中力も欠いている。素直に実行することができない天邪鬼という段階ではなく、もはや聞いて理解することができない段階なのかもしれない。

よしんば聞くことに成功したとして、素直に実行するという行為は、耐え難い性格もある。相手と自分の上下関係を気にしているケース、頭の良さのランキングに固執しているケース、いたずらっ子ケース、言われたことを忘れてしま(ったことにして別のことをしてしま)うケース…。これらの壁を超えるためには、深い理解か、もしくは強権・信頼のどちらかのサポートが必要であろう。

結論

こうして考えていくと、”素直に言われたことを実行する”ということは、理解・信頼・強権のどれかが程よく組み合わさった状態なのだなぁ、という結論に至った。

結局は理解しても大半は実行しないよなぁ、と思う今日この頃である。(それとも、実行されない程度の「理解」は、理解が足りていない、と定義付けした方が分かりやすいのか)

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