最近、思想が変わってきている。
かなり前から、「全ての存在を認めて、よく考える」を心がけてきた。そして双方の立場を考えることをした結果、敵対していた企業を研究しすぎて逆に好意的になってしまうというミイラ状態になった。任天堂はバカにしていたし、アップルもバカにしてきたが、彼らを紹介する本を読み、行動原理を理解していくと、敵対心は消えていつのまにか肩入れしてしまう。
労働組合も、経営を邪魔する存在、ストライキを行って社会に害を与える存在として嫌っていたが、団結権の行使、弱者は団結しなければ強者に対して交渉できない、ということを感じるに従って、その認識を改めていった。
例えば、JASRACも悪の権化と嫌っていた。しかし、音楽家個人と放送局や音楽利用者が直接交渉することを想像すると、個人は負ける。そのために団結して組織を作ることで音楽家の利益を守ろうとしている。そして音楽家がJASRACの考えに同意できないのであれば『JASRACを使わない』という選択肢も残されている。皆がJASRACに反発し、JASRACを使わなければ、その役目は終わる。JASRACが存在していることで、音楽はJASRACを通じて利用料さえ払えば、音楽家や利用者が直接交渉することナシに、誰でも使える状況になっている。
よく出る漫画の二次利用の問題の話がある。漫画の二次利用をした著作物が出回っているが、一次著作の作者に金が回っていない、と。仮に、漫画の世界においてJASRACとなるような組織が存在していれば、管理団体を通して利用許可が出され、売り上げのうち数%を一次著作者が取ることが出来る。このような二次利用の世界では実費以上の収益を上げてはならない、との約束事があるようだが、管理団体が存在してルールが定められていれば、より多くの利益を上げても許される世界は存在したのではないか、と。
これは漫画の世界だけではなく、出版全般や映像、ゲーム(映画)についても、割とそう思っている。なぜ、そのような団体が出てこないのかは不勉強なので知らない。音楽と放送の関係が独特だからかもしれない。