著作権管理団体という仮想敵

「Winnyでいいから読んでほしい」? 現役世代の本音と著作権保護期間問題 – ITmedia News

 若いクリエイター自身がブログなどでこの問題について発言しているケースもそう多くなく、彼らの声はなかなか聞こえてこない。創造の最前線で活躍している彼らの思いはどんなところにあるのか。

 ある大手出版社の編集者はこう見る。「日本に漫画家は4300人くらいいるらしい。だがその中で、作品が売れて2次利用されるなど、著作権を考慮するような立場の人は200人いるかいないかだろう」。さらに「保護期間の延長を口に出して恥ずかしくない作家など、ほんの数人でしょう」

 編集者はこうも言う。「わたしが普段付き合いのある作家はみんな、『Winnyでもいいから読んでもらえるほうがうれしい』という人ばかりです」

本記事では、漫画家の多くが死後50年も自分の作品が残らないだろうと考えており、保護期間の延長を口にするのは恥ずかしい、ということらしい。

ふーん、ということで少女漫画の歴史1950年代を見てみると、50年前に名前があるのは”石森章太郎”、”ちばてつお”、”赤塚不二夫”。ああ、彼らのレベルじゃなきゃ今の今まで名前が残らないということか。

正直50年でも長すぎる。

例えば著作権を意図的に5〜10年程度までしか主張しない団体を作って、その作品郡を2次利用させて、(現役の作家、生産者として)生きているうちに知名度を挙げてもらい、新作の売り上げが上がる…という例でも出さない限り、日本における議論は上手くいかないと思う。自分の権利を小さくする(文化1つあたりの単価を安くする)代わりに広く知られて全体の収益があがる…というアプローチも面白いと思う。単行本の価格、ここ数年、変わってない(週刊誌は変わったけど)。

ネットワークの利益も最終的には公平性と全体のスループットの和だし、それを証明できれば皆が採用する理由になるはず。難しいのは、それを証明できない、ということなんで、実証実験が必要、という話なんだけど、誰もやらんよね。

音楽の世界ではナプスターが定額で効き放題のサービスやってるけれど、漫画の見放題なんて真剣にやってるのは464.jpくらいしかないし。市場規模は同じくらいあると思うんだけどね。

そんなこんなで若いクリエイターの方々は静観しておられるとか。というか、若いクリエイターに”著作権を放棄して文化を広め利益を得る”道を自分で選ばせるために、松本零士氏や三田誠広氏は最後の一仕事として仮想敵、全ての古き慣習の代表になって著作権団体側についているとしか思えない。誰がシナリオを書いているのか知らんけど。

どちらにせよ、彼らが大きな声で自分の思う主張を唱えることは、大きな意味があると思う。そのおかげで著作権に対する議論が活発になっている。デジタル化されネットワーク化されゆく社会にとってどのような形の著作権が最適なのか、よく実験して確かめ、議論して著作権法を改定してべきだ。今後の日本の勝負どころは間違いなく、そこだから。。

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