マニュアルを書いたことも読んだこともないよ。そんな人が考える、糞マニュアル論。ISOとか読む気しねーし!
序論
過去にアルバイトでマニュアル管理システムについての調査をしていた時期があった。当時、自分はマニュアルの文章管理が簡単にできる製品を作ることを主眼において考えていた。例えば、マニュアルには重複する箇所が存在するが、普通のWord文章では1箇所を修正しただけでは他の同じ箇所を修正することができない。プログラムの関数のように、1箇所を変更しても全ての箇所に適用されるようなシステムであることが望ましい。というふうな考え方だ。また役職や作業単位ごとにマニュアルを動的に作成できる、多人数が同時に作業できる、様々な形式で出力できる、などのシステム的要素のアイディアも出していった。
そういった経験もあり、今でもマニュアル作りについては思案にふけることがある。最近になって思うのは、もしマニュアル管理システムを作るのであれば、マニュアル作りの本質を重要視して、システム構成を考えるべきだった、という点である。営業用の製品としてセールスフォースと呼ばれるものがあるが、この製品は営業の手順を均一化することでパフォーマンスを上げる効果があると考えている。マニュアル管理システムを文章管理システムの見方で構成するのではなく、マニュアル作りの電子化手順を踏むという方向性を示すことができなかったことを悔いている。
脱マニュアル
話は変わるが、脱マニュアルという向きの流れがある。マニュアルを捨てて、自分で考えて物事を行わせるというものだ。マニュアル主義による、でたらめな接客や非効率的な作業の継続など、その状況においてあり得ないことを行っている人々が存在する。その背景にはマニュアルに従っていれば、問題ない・怒られない・間違いはない、という信仰があるからなのだろう。実際、その信仰は正しい。
マニュアルとは、新しくその業務・作業に触れる人間をミジンコ野郎から訓練生レベルにまで押し上げる”きっかけ”を与えるもので、そのマニュアルに自身の成長を助けてもらっている。おかげで成果を上げてこられたのだから、感謝の気持ちを持って、信仰することもあるだろう。しかしながら、それはマニュアルのあり方の本質を間違って理解している。
その顕著な例は、”マニュアルは絶対不変である”という思い込みである。
マニュアルとは
マニュアルという言葉を聞いて多くの人が思い浮かべるのは、取り扱い説明書のことだと思う。家電に付属してくるアレは、読まれないことが多い。製品を見ただけで利用できる方が望ましいのだから、その心境は複雑なものである。しかし読まないと痛い目を見ることもある。しかし、この議論のマニュアルと取り扱い説明書は違う。
ここで話をしているマニュアルとは、手引書や業務手順書の意味だ。なぜ、業務手順書が作られるのか、考えてみよう。
ある仕事を任される時、口頭で作業内容を伝えられ、作業に入る。作業指示者が有能な場合、どのように作業をしたら効率的なのかを示されることがある。ときに作業者自身が、より効率的な作業方法を見つけたりする。指示者が無能な場合、もしくは重要性が低い作業、どうやっても差が出ない作業の場合は、ただ「やれ」と言われる。つまり、困難で時間のかかる作業の場合は、作業指示者、もしくは作業者の技量によって、効率性や品質に差が出る。
皆が口頭で素晴らしい作業説明をしたり、職人の下で修行をする弟子のごとく技を盗んだり、できるのであれば良い。しかし世の中はミジンコ野郎ばかりである。そこで、作業指示者や作業者によって作業の差が出ないように考慮した1つの結果が、業務手順書である。
業務手順書は紙に文章で、どのように作業をするべきかを書いていく。ミジンコが書いた手順書には意味がない。お分かりの通り、非効率的なものになる。だが、しかし、意味はある。その点を説明すべく、マニュアル作りにおいて重要だと思われる点を重点的に説明していく。
マニュアルは最適な作業手法が記されなければならない
マニュアルは前述の通り、業務の効率や品質を向上させるために作られ、読むものである。よって、その作業環境で最も適している作業手法が記されなければならない。もし外部の人間がマニュアル作りを依頼されたなら作業者にヒアリングを行う(だろう)。それは最も優秀な作業者に対してであったり、作業者全員に対して、であったりするかもしれない。そうしてヒアリングをしていき、その作業のポイントとなる作業を列挙していく。列挙していくと、あからさなまに非効率な箇所が見えてくることもある。また、ひょんな作業者が効率的な手順を行っていることもある。そのような作業を経て、良い作業をスクリーニングしていく。
マニュアルは改訂されなければならない
過去の成功体験が現状の惨劇を生み出すが如く、永遠の個別手法は存在しないという観点に立つ。人は変わる、価値観は変わる、時代は変わる。そうした中でマニュアルは世界と合わなくなっていく。ITのような技術が成長していたり、安い外注が出現したりなどの環境の変化があるからだ。必ずマニュアルは古くなる。よって定期的にマニュアルが正しいかどうかを精査し、改定を行う必要性がある。
マニュアルは作業者のレベルに落とされなくてはならない
マニュアルを読む人間がミジンコだと誰が思うだろうか。しかしミジンコなのだ。ミジンコに分かるように書かなければなるまい。しかしミジンコは文章で分からないかもしれない。そうした場合は図や写真を織り交ぜていくと効果的だ。例えば、学校教育の中で、教科書というものがあるが、教科書のみで読み薦められる学力のあるものがどれだけ存在するだろうか。そして、マニュアルを必要とする人はどのような学力のものなのか考えてみよう。
マニュアルは”読むもの”なのだ、という考え方が良くない。”読み聞かせる”、”マニュアルを元に議論をする”という教育を経ないと、本当のマニュアル内容の理解はできない。
マニュアルの執筆者は作業者であることが望ましい
本来的にはマニュアルの執筆者は作業者であることが望ましい。なぜなら、ミジンコ向けの文書を書けるのはミジンコだからだ。ミジンコ同士が議論を行い、その議論を深めていった結果として、マニュアル改定が行われる流れが本筋である。そうすることによって、全体の作業者のマニュアル理解が高まる。さらにマニュアルは可変であるという意識を持つに足る。学校教育においても”学生が自分たちで教科書を作る”くらいの根性があってもいいと思う。
マニュアルは一貫性を持たなければならない
作業者が議論をするにしても、最も守らなければならないのは、組織・企業が大事にしているビジョン・コンセプトやビジネスモデルである。過去に「うまい、はやい、やすい」について吉野家の事例を取り上げたが、これを例に考えてみよう。
ある作業者が”より早い”作業方法を思いつき、議論の場で提案し、理解を得る。しかし、ある参加者が”美味くできるのか”という反論を出す。検証した結果、より早い作業方法だが、美味さが損なわれることが分かった。企業スタイルとして最も重視するのは「美味さ」であるので、上司と相談した結果、その提案を破棄した。
効率的な手法が見つかっても、その組織・企業の取るべき道に照らし合わせて正しいものなのかという議論が必要だ。つまり、その企業が持つ、接客の本質・業務手順の本質の理解もまた必要なのである。
あるべきマニュアル管理システム
上記のマニュアル作りの要件を踏まえて、システム作りをするとすれば、「最も良い手法を」「更新しやすく」「読まれる形で」「作業者自身が」「一貫性を持って」遂行できることが重要だと考えられる。
このうち序盤から意識すべきは”マニュアルとは可変である”ことであり、「作業者自身が」更新しやすいシステムの構成を行うべきである。この形はログイン可能なWikiに近い。作業者自身のリテラシー・スキルに応じて、カメラつき携帯電話の写真投稿の対応、ビデオ投稿などバリエーションが考えられる。
読まれる工夫としては、現時点では電子媒体よりも紙媒体であることが望ましいケースがいくつか見られる。そこで、出力形式としてルーズリーフなどのバインダーを意識したものとし、更新があれば、更新箇所を入れ替えすることで「更新の容易性」と「読まれる形で」を両立することを考える。
「最も良い手法を」「一貫性を持つ」ように構成するためには、作業者と作業指示者との議論が必須であると考えられる。そこで、議論のためのたたき台を投稿でき、かつ議論を正しく誘導でき、結果を議事録として残せるものであることが望ましい。
このシステムの手順自体がどのようなものになるのか分からないが、紙→電子→紙→電子→…と往復するものになるのだろう。マニュアルをバインダーに閉じていく行為がデアゴスティーニ風味に中毒していけばうまくハマると予想している。
まとめ
と、こんなことをマニュアル調査ミッションをもらってから関係が切れた後もずっと考えていて、マニュアルという言葉を聞くたびに頭の中に割り込みが入って目障りだった。今回の記事で吐き出せて幸せ。ようやく面倒なことを考えずに済むわー。もう思い出さない。忘れるために書いた。もう忘れる。
っていうか、ここまで読んでる奴いないだろー
「マニュアル主義と脱マニュアル主義のボタンのかけ違い」というタイトルで書き始めた結果が「マニュアル管理システム」とは、これいかに?管理システムのことを相当に根に持ってたんだなー。ていうか、まとも働いたこともなくて、マニュアル大嫌いで、プログラムにもコメント行残さない人間なのに、マニュアルについて語るなんて片腹痛いわー。5つのマニュアルの重要点について書いたけれど、たぶん、こんなの現場にないから。通用しないから。ちゃんとISO9000系読んでね、と。
ぼくのかんがえたさいきょうのマニュアル管理システム への2件のフィードバック